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 さて、「高松散歩」のコーナーを作ったはいいけど、どんなことを書こうか??・・・  と、思い悩みながら、決めました。

 ★ このコーナーでは、私の好きなこと、街で見つけたこと、趣味の音楽、スポーツあたりを中心にごった煮でしかも文体等にもこだわらずに徒然日記風に記していきます。
 独断と偏見で勝手な言い分も出てこようかと思いますが、そこはご容赦を。

■■■ 第百十回 ■■■

祝!姉妹都市提携50周年(訪米帰朝報告)

10月22日

 姉妹都市提携50周年記念式典記念行事に参加するため、14日から20日まで、高松市の姉妹都市であるアメリカ、フロリダ州、セントピーターズバーグ市と視察を兼ねて経由地であるニューヨーク市を訪ねてきました。
 私と議会代表、姉妹都市委員会の会長らの公式訪問団9人と、飛行機等は別便でしたが、親善交流事業を行うために自費で参加の市民訪問団も合わせて総勢約80人という大デレゲーションでした。

 セントピーターズバーグ市と高松市とは、昭和36年に外務省の紹介を通じて姉妹都市提携を結んでいます。現在でも飛行機を乗り継いで、約20時間近くかかる地球の反対側に位置する両市を、50年前に姉妹都市として位置付け、確実に交流事業を続けてきた先人たちの努力は敬服するばかりです。そして、50周年の記念行事を両市でそれぞれ盛況に開催できることは、本当にありがたいことだと思っています。
 日米の姉妹都市も、最近では交流が形骸化している例も多いとの話を外務省の担当官から聞きました。こんなにたくさんの市民が訪問団としてやってきてお祝いをするような例は、最近聞い

タンパ空港の掲示板に、歓迎のサインが出ていた。感激。

たことがない、とも言っていました。それだけ、貴重な交流だと思います。

新しいダリ美術館

 市民訪問団は平均年齢71歳。高齢の方が多く、大丈夫だろうかと心配しましたが、杞憂でした。皆さん元気いっぱい。飛行機が大きく遅れたほかは、大きな事故やトラブルもなく、全く無事に、というより全員が大いにアメリカを楽しんで帰ってきたようでした。
 今回の訪問が成功したのは、この市民訪問団の皆様の参加と応援のお陰だといっても過言ではなく、心から感謝したい思います。

 セントピーターズバーグ市は、私が2年前に訪れた時よりもさらににぎやかで魅力的になっていました。特に、全米の中規模都

市の中で「アートの街」として2年連続第1位に輝いているだけあって、文化芸術面での充実が際立って目につきました。

 ダリの世界一のコレクションで知られるダリ美術館が移転新築され、これも世界的なガラス工芸作家であるチフーリの作品を集めた美術館もオープンしており、多くの人で賑わっていました。いずれも見学させていただきましたが、見ごたえのある素晴らしい美術館でした。

 また、セントピーターズバーグ市にアトリエを構えて芸術の創作活動を行っている2組のアーティストのスタジオ兼自宅も訪問しました。いずれのアーティストも、市の芸術に対する積極的な支援策を評価していて、市の政策が有効に成果を挙げていることを実感しました。このうちの一人、ダンカンさんは、素晴らしい50周

市立美術館の隣の公園に記念植樹をしました

年記念のガラス工芸品を特別に製作してくれ、高松市に寄贈いただきました。別途送ってもらっていますので、届けば市民の皆さんにも見て喜んでいただけると思います。

ダンカン氏から特別に制作した50周年の記念作品を寄贈いただく

セントピーターズバーグの中心街のパブリック・アート

セントピーターズバーグ市から感謝状をもらいました。

 

突然呼び出され、ベーカー前市長らとユアマイサンシャインを歌わされました

セントピーターズバーグの消防署を視察

セントピーターズバーグのホテルで子どもたちがヴァイオリンで見送り

 

イサムノグチ庭園美術館(ニューヨーク)

 今回は、公式行事等とともにアートを巡る旅となりました。ニューヨークでも、メトロポリタン美術館イサムノグチ庭園美術館を見学しました。
 メトロポリタン美術館は私は2回目でしたが、再び、その膨大でハイレベルのコレクションに圧倒されながら、時間の許す限りいろいろと見て回りました。今回は、全世界で35枚しか確認されていないフェルメールの絵を4枚じっくりと鑑賞できたことが一番の収穫でした。
 ニューヨーク財団のイサムノグチ庭園美術館は、牟礼の美術館の言わば本家にあたります。イサムノグチの作品そのものが多く保存されていると同時に、実際にイサムノグチが製作してい

た現場の隣の倉庫を改修して美術館としたもので、イサムノグチ自身が設計や作品配置をしていて以前からどうしても訪れてみたい場所でした。やはり、そこには牟礼の美術館と同じ、何とも言えない緊張した、それでいながら日本のしなやかさを感じる気というべきものが充満していました。建築物も庭も日本とは異なるものでありながら、雰囲気や佇まいに同じものを感じさせるところがあります。「違うけど同じ」という宿命の越境者と言われたイサムノグチの両面性をそれぞれが象徴しているのかもしれません。

 その他、セントピーターズバーグ市やニューヨーク市の街の風景や公式行事等の内容の詳細は、別途様々な機会に報告させていただくとして、省略させていただきます。

 最後に。

 今回の訪問のハイライトは、セントピーターズバーグ市郊外のトレジャーアイランドビーチから訪問団全員で眺めたメキシコ湾に沈む夕日とその後の夕焼けでした。ビーチにつくまでは、全くの曇り空で、せっかく見に来たのに夕日は見れないものと完全にあきらめていました。それが太陽が沈む瞬間に雲が切れたのです。口々に「ミラクル!」「奇跡的だ!」という声が上がりました。そして、オレンジ色の輝きが一面の雲に反射して映し出されると、それはそれは、この世のものとも思えない美しく感動的な情景となりました。日没に伴う夕焼けでありながら、「日はまた昇る」、「新しい世界が始まる」ことを想起し、確信させるものでした。

 トレジャーアイランドビーチの夕焼けは、セントピーターズバーグ市と高松市のこれからの姉妹都市交流の充実発展を予感させるものでした。
 この祝福を受けて、私たちは新たな50年の歴史に向けた一歩を踏み出し、しっかりと後世に繋いでいきたいと思います。

夕日をバックに砂で作ってくれた50周年のモニュメントを囲んで記念撮影 

感動的だったトレジャーアイランドビーチの夕焼け 


■■■ 第百九回 ■■■

第4回カーフリーデー高松、無事、盛況にて終了

9月19日

 活動報告でも記しましたが、三連休の最終日、敬老の日の本日、第4回カーフリーデー高松が開催されました。
 このカーフリーデーは、都市の中心部において車を使わないことで,市民に,車のない都市環境を体験してもらい,マイカー使用の見直しや,公共交通・自転車の利用促進に関する意識を高めていただくための社会啓発イベントです。1997年にフランスで始まり,現在では,ヨーロッパを中心に2,000以上の都市がこの取組に参加しており,日本では,今年,本市を含めて8都市が参加しています。

 高松市では、平成20年から始めて4回目となる取組みです。今年は、主会場を初めて菊池寛通りとして、これまで開催してきた美術館通りと併せて拡大開催。中央通りからフェリー通りまでの区間、合わせて約800メートルで車の乗り入れを禁止し、歩行者と自転車だけの空間を作りました。そして、その道路空間を使って、ミニ電車・SLや面白自転車の試乗コーナー、道路上でのお絵かきコーナーや商店街や地元自治会の皆さんが出した屋台など、盛りだくさんの出し物やイベント、出店が予定されていて、盛り上がりが期待されていました。

 そんな中、心配の種は当日の天候。カーフリーデー高松は、平成20年の初回の開催時、オープニングイベントと大半の催し物がゲリラ豪雨による大雨で中止になったという苦い思い出があります。
 今年も台風15号の居座りで天気は下り坂。降水確率は、午前中20%と午後80%。途中から降るのは已むなしとして、どうにかオープニングからしばらくは(出来れば夕方まで)天候が持ってほしいと願っていました。その思いが天にもとどいたか、どうにか12時前のオープニングから2時間程度は雨に降られずに予定通り開催することができました。

 オープンしてみると天気予報の悪さにも関わらず、会場の菊池寛通り、美術館通りと中央商店街には、予想以上の人出があり、いつもの休日以上のにぎわいが出来ていました。しかも小さな子供を連れた親子連れが多かったこと。そして、車のいない道路空間で安心して遊び楽しんでいる子どもたちの笑顔がたくさん見られたことは主催者として本当に嬉しく思いました。

 カーフリーデーでは初めての共催イベントとして、市内各地区から獅子舞連がたくさん集まってあちこちで獅子舞を披露してくれました。高松の秋まつりの象徴でもある獅子舞の鐘の音が商店街に鳴り響き、にぎわいを倍加させて雰囲気を盛り上げてくれました。
 また、丸亀町の美術館北通り診療所が通りにカーフリーデー出張所を出して、救急措置や蘇生術などの簡易講習を行ってくれていました。市民も関心を持っていろいろと尋ねていましたが、こんな形で街の診療所がカーフリーデーに参加いただけたことは本当に有難いことです。瀬尾憲正所長の心意気に感謝申し上げます。

 そんなこんなで関係者をはじめとした多くの市民の積極的な参加と御協力により、大盛況で大成功に終わった第4回カーフリーデー高松でした。

市内各地区からの獅子舞

会場とその周辺をまわりました

オープニングのご挨拶

会場とその周辺をまわりました

救急措置や蘇生術などの簡易講習

車のいない道路空間で安心して遊んでいる子どもたち


 (もっとも私は、オープニングイベントを終え、一とおり会場とその周辺をまわって見た後、香川地区の敬老会出席のため、現場を離れざるを得ませんでした。その後も盛り上がっていた様子は、ツイッターやフェイスブックで教えていただきました。情報をいただいた皆さん、有難うございました。)


■■■ 第百八回 ■■■

FM高松「みっちゃんのオペラだ〜い好き」に出演

7月10日

 ツイッターフェイスブックという今流行りのソーシャルメディアを始めて、そちらの方に手が取られていたたこともあり、気がついてみると、5月、6月は私の公式ブログ「高松散歩」を一本も記していませんでした。失礼しました。
(市長2期目のスタート時期にあたり、諸行事が重なったことに併せ、震災の甚大な被害と政治の混乱に頭の整理が追いつかず、なかなか気楽なコラムを書く気になれなかった、という言い訳も一応はあります。)

 ということで、最新のトピックスを。
 7月7日(木)の七夕の夜、常磐町商店街の一角にあるFM高松のスタジオで毎週土曜日午後5時からの30分番組「みっちゃんのオペラだ〜い好き」を2本分収録してきました。既に前半部は昨日(9日)放送されました。後半は16日(土)に放送です。

 この番組は、高松で音楽サークル「市民オペラちぇちぃりぁ」 を主宰している蓮井迪子さんがパーソナリティをしている対談番組で、毎回音楽関係を中心に様々なゲストを招いて、好きな音楽をかけながら気楽なトークをするというものです。私も、車を運転しながら、その軽妙なやりとりを楽しく聞いたことがありましたが、その番組自体に出てみませんか、という打診を、常連的?に出演しているという知り合いの竹林昌秀さんから受け、とんとん拍子に話が進んでこの日の夜の収録となったものです。

 事前の打ち合わせで話の流れを確認してから収録するものと思っていたのですが、これが、ほとんどぶっつけ本番で驚きました。蓮井さんがやってくるなり、キュー・シートを取り出し、最初の挨拶あたりをさっとメモしたかと思うと「曲のタイトルを教えてください。」と言って、1本あたり5曲の曲紹介の簡単なメモだけを作って終わり。後は、「フリートークで自然な流れで行かせてもらいます。答えられないこととか、まずいことがあったら手でバツを作ってお知らせください。」という注意だけで、最初のタイトルコールの「だ〜いすき」だけを一度練習してすぐに本番開始となりました。


 でも、心配無用。流石に蓮井さんは手慣れていて、時間を計りながら、絶妙のタイミングで曲をかけ、その合間に無理なく私の話を引き出してくれました。楽しく音楽を聞きながら普通のおしゃべりをしているうちにいつの間にか収録が終わっていたという感じです。

 9日(土)既に放送した前半部分は、私の若い頃聞いていた音楽ということで、フォーク、ロック、ジャズなどで5曲、16日(土)放送分は、クラシックの好きな曲(アーティスト)ということで、ピアノを中心としたクラシックを5曲かけてもらいました。もちろん曲全部を流す時間はありませんので、2〜3分に切らざるをえませんが、対談の中で音楽を挟むことにより、お互いの会話がよりかみ合い、弾んでいくのが良くわかりました。これが音楽の力の一端であり、ラジオでディスクジョッキーというものが存在し、もてはやされる理由でもあるのでしょう。
 このラジオで流す曲を何にするかは、2、3日前から自宅のCDラックの前でずいぶん悩みました。今までの自分の音楽遍歴を頭の中で反芻しながら、実際にラジオから流れる雰囲気を想像しながら計10曲を厳選しました。その時間が、最も幸せな時間だったような気がします。

 収録が終わって、「また呼んで下さい」とお願いをしておきました。蓮井さんからは、「今日は七夕ですので、少なくとも来年の七夕にはまたお会い出来るでしょう。」と粋な別れのご挨拶をいただきました。

 ちなみにこの番組でかけた曲は次の通りです。(写真は曲の入っているCDジャケット)

7月9日(土)放送分
 @ 東へ西へ(井上陽水)
 A I Shot the Sherriff(エリック・クラプトン)
 B ザ・サークル・ゲーム(ジョニ・ミッチェル)
 C いつか王子様が(ビル・エバンズ)
 D You & Your Heart(ジャック・ジョンソン)

7月16日(土)放送分
 @ ベートーベン:バイオリン・ソナタ第5番(クレーメル(Vn)、アルゲリッチ(P))
 A モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番第2楽章(グルダ(P)、アバド、ウィーンフィル)
 B ブルックナー:交響曲第8番第4楽章(朝比奈隆、大阪フィル)
 C シューマン:クライスレリアーナ(内田光子(P))
 D バッハ:ゴールドベルク変奏曲(グールド(P))


■■■ 第百七回 ■■■

高松市長選挙当選報告(選挙戦の1日(4月17日)を振り返って)

4月30日

 遅くなりましたが、私が再選を決めたこの度の高松市長選挙の御報告をさせていただきます。
 統一地方選挙後半戦で行われた高松市長選挙は、4月17日(日)に告示されました。
 結局、私のほかに候補者がおらず、前回に引き続いてその日の午後5時に届け出受付が終了した時点で、私の無投票当選が確定しました。
 県庁所在都市の市長選挙としては異例の2回連続無投票当選、ということもあり、そちらだけで注目されたところもあります。中には揶揄的な報道もあり、自分自身の中でも、もやもやとしたわだかまりが残り、正直に言えば、不完全燃焼だった感は否めません。

 それでも、告示日1日は、出陣式の後、大地震の被災者や市民感情に配慮しての選挙カー自粛のなか、街頭演説を主体に精一杯選挙運動を繰り広げました。

 選挙戦当日は、朝早く始動しました。家を7時に出発し、石清尾八幡宮へ行き、選対本部長と後援会長とともに私と家内で必勝祈願を行いました。
 穏やかな天候で、早朝の凛として清んだ空気が肌に気持ちよく、4年前と初陣の時と同じ厳粛な気持ちが甦りました。
 神事を終えて、選挙事務所に入り、立候補の届け出が終わるまで、しばらく時間調整。そして、午前9時から出陣式。来賓あいさつ、選対本部長の挨拶に続いて私から決意表明。最後は後援会長の「大西頑張ろう、高松頑張ろう、日本頑張ろう」のシュプレヒコールでいざ出陣です。
 選挙カーは使わないため、運動員と移動用の車2台に乗り込み、事務所を出発。まず、南へ塩江町に向かい、支所前でまず第一弾の街頭演説。ちょうど、地元の市議会議員候補の出陣式が終わったところで、その流れで多くの人に聞いていただいた。幸先良しです。






 その後、香川町(マルナカ(浅野)前)、香南町(香南楽湯西側)、岡本町(JAホームセンター前)、国分寺町(イオン国分寺ショッピングセンター前)とまわり、12時過ぎに選挙事務所に帰り、昼食の弁当を食べて、1時頃再出発。中央商店街に入り、まず、丸亀町三町ドームで街頭演説。これまで何回もイベント等の挨拶をしている場所なのですが、自分の選挙の街頭演説となると、少し勝手が違い若干緊張しました。その場で、運動員はマニフェストのビラを配りました。その後、私は案内をしていただきながら、手を振って商店街の中を練り歩きました。多くの店から聞きつけた人が出てきて応援をしてくれたのは、本当

に嬉しく感じました。商店街の中で、再度、田町交番前で街頭演説。そして、瓦町の駅前でも。一緒に歩いてくれた支援者から「市長、演説している時は本当に嬉しそうやな。」と言われました。このあたりになると慣れたこともあり、自分の思いが少しでも伝わるよう、声の大きさや口調を工夫する余裕も出てきていて、自分でも確かに楽しみながら喋れるようになっていました。
 その後、車に乗って、木太町(マルヨシセンター木太店前)、庵治町(農協前)、牟礼町(コープ前)とまわり、最後に仏生山駅前でちょうど5時数分前まで演説をしてタイムアップとなりました。実質7時間、計12か所で街頭演説を行った計算になります。

 そして、事務所からの「他に届け出なし」との連絡で当選が確定しました。それを受けて前回同様、移動中の車内で運転手や運動員と握手を交わし内々にお祝い。ただ、正直な気持ちとしては、「ほっとした」という安堵の気持ちと「もう少し市民の皆様に直接政策を訴え、その声を聞く時間がほしかった」という残念な気持ちが混ざり合った複雑な心境でした。
 事務所に帰ってくると、早めにお祝いに駆けつけてくれた人が大勢事務所前で出迎えてくれ、そこで立ったまま早速、当選報告と御礼の挨拶をしました。そして、事務所で少し休んでから、午後6時から「当選報告会」。日曜日の夕方の忙しい時間にもかかわらず大勢の報道陣と支援者が集まってくれました。




 「報告会」では、万歳はやらず、まず、当選報告があって、前回同様娘から花束をもらい、皆様から拍手で祝福していただきました。
 その後、来賓から祝辞をもらい、選対本部長の挨拶、マスコミのインタビューを受け、最後は後援会長の音頭でお茶で乾杯をしてお開きとなりました。結果無投票当選とはなりましたが、まず、選対本部長をはじめとした選対本部の役員の皆様方に御礼を申し上げます。
 また、昨年12月の再選出馬表明以来、選挙の準備を進めてきて、2月13日の事務所開設、2月27日の市政報告会とマニフェスト発表、など行事をこなしながら事務所運営を行ってくれた後援会の事務局スタッフと手伝ってくれた友人知人、また、事務所を手伝いながらと家でも私を支え助けてくれた妻に感謝したいと思います。
 私の2期目の任期は5月2日から始まります。
 気持ちの上でも一区切りをつけ、しっかりとしたリスタートを切り、マニフェスト2011でお約束した施策の実現を中心として、これまで以上に市民の皆様の声に耳を傾け、誠心誠意市政のかじ取り役を務めてまいりたいと考えていますので、皆様のご理解ご協力をよろしくお願いします。


■■■ 第百六回 ■■■

善哉善哉 − ZENKON湯プロジェクト

4月27日

 東日本大震災の被災地の状況を見て、自分に(建築家として)何が出来るかを考え、いち早く風呂が必要だと思い立ち、仮設風呂屋の設計図を引き、「ZENKON湯プロジェクト」を立ち上げた斎藤正さんら一行が、応援団長のるいままと一緒に市役所を訪ねてきてくれました

 斎藤正さんと言えば、瀬戸内国際芸術祭で、ジャウメ・プレンサがデザインした男木交流館(男木島の魂)の設計を担当していただいた建築家で、芸術祭のマザーポートである高松港に無料でおにぎりのお接待などをしていた休憩所「善根(ZENKON)」を建築した人です。
 「善根」とは、仏教用語で字のまま「根が善良であること」を意味し、四国遍路では、お遍路さんに好意で貸す宿を「善根宿」と言います。今回は、そのお風呂版、ということです。既に、2回、資材と一緒に皆で被災地に赴き、南三陸町と石巻市、それに陸前高田市で「ZENKON湯」数基を建設して帰ってきています。




 それにしても、この斎藤さんの発想力と企画力、それに行動力には、恐れ入りました。またそれを取り囲むように集まった若者たちの被災地と被災者のために自分たちにできることをとにかくやろうという、真剣なひたむきさにも頭が下がります。さらに、話を聞いて、すぐに応援団長を買って出て強力にブログで発信を続けて賛同者を増やしているるいままの熱血嬢ぶりにも、いつものことながらたじたじとなるくらい感心させられます。

 「ZENKON湯」の話を知り、高松市として何か協力できることはないかと検討し、先週、石巻市に支援物資を送るトラックの空きスペースに「ZENKON湯」の資材を積み込み、香川県トラック協会の協力で現地まで運ぶことにしました。そして、今回のプロジェクトの活動を終えて帰ってきた斎藤さんらから今日、石巻市と陸前高田市での活動の様子と現地の状況の報告を受けたのです。
 被災地は、少しずつ落ち着きを取り戻し、徐々に生活感が出てきているようですが、まだまだひどい状態が続いているとのこと。「ZENKON湯」のような仮設ですぐに設置できる風呂を必要としているところはかなり多いはず、ということが良くわかりました。


 そこで、全国市長会の被災地支援のためのインターネットサイトを活用して、「ZENKON湯」の設置要望を募ったところ、すぐに宮城県登米市から反応がありました。

 登米市は、今回の大地震で震度6強を観測して建物崩壊等の被害はあったものの、内陸部であったため、津波による甚大な被害は免れていました。しかし、太平洋海側の隣町が津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町です。震災後、そこから大勢の避難者を登米市で受け入れているため、十分に生活支援が行き届いておらず、風呂も何日かに一回バスで送り迎えをして入ってもらっているとのことで、衛生管理、精神衛生の面からも風呂をどうするかが、大きな課題になっていたようです。


 なぜ、登米市がすぐに反応したのかには、もうひとつ大きな理由がありました。登米市の副市長は、私の宮城県庁時代の直属の係長であった井林貢さんでした。副市長の御縁で、布施市長さんにも面識がありました。夕方、井林副市長と布施市長に電話でお話を聞くと、ちょうど私のことを調べようとして高松市関連の記事を探していた時に、「ZENKON湯」の話を見つけたのだそうです。こういうのも奇遇というのでしょう。私からは、「ZENKON湯」を是非有効に活用して下さい、とお願いするとともに、他の被災地にもこの話を伝えていただき、実費約50万円、5時間程度で完成するこの風呂の話を是非とも広めて、需要があれば、お知らせください、と申し出ておきました。

 一人の建築家のユニークな発想と行動から始まったこの善意の輪。これからもどんどんと大きく広がり、一人でも多くの被災者が「ZENKON湯」につかって、手足を伸ばしてあったまり、しばし浮世の悲しみや苦しみを忘れ、ほんのり赤みの差した笑顔がたくさん見られるよう、祈っています。



 「ZENKON湯プロジェクト」、お釈迦さまも「善哉善哉(よきかなよきかな)」と褒めてくれていることでしょう。


■■■ 第百五回 ■■■

いよいよ明日、高松市長選挙告示日

4月16日

 私が高松市長に初当選した選挙から早くも4年がたち、明日、再選をかけて高松市長選挙に立候補します。
 先の「大震災と選挙」に書いたように、今回の選挙では、大震災の被害に鑑み、また、市民感情も踏まえ、選挙運動における選挙カーの使用は自粛することとしており、明日は、出陣式の後、車で市内全域を回りながら、ポイント、ポイントでマニフェストを配りながら、街頭演説を行うこととしております。
 明日の大まかな予定は、以下の通りです。

 多くの皆様にお集まりいただき、応援をいただければ幸いです。

平成23年4月17日(日)

7:30

  必勝祈願

石清尾八幡神社

9:00

  出陣式

大西ひでと選挙事務所(三名町)

9:30

  選挙事務所出発

 

10:00

  塩江町

塩江支所前

10:30

  香川町

マルナカ(浅野)前

11:00

  香南町

香南楽湯西側

11:30

  国分寺町

イオン国分寺ショッピングセンター前

12:00

  選挙事務所

 

13:30

  丸亀町三町ドーム

 

13:50

  田町交番前

 

14:20

  瓦町駅前

 

14:50

  木太町

マルヨシセンター前

15:30

  庵治町

農協前

16:00

  牟礼町

コープ前

* あくまで、予定ですので、時間、場所ともに、当日の状況で変更となる可能性があります。


■■■ 第百四回 ■■■

大震災と選挙

4月10日

 東日本大震災が発生して明日でちょうど一カ月。
 被災地はもちろんのこと、我が国全体が、呻吟し続けた本当に長い1カ月だった。
 しかし、未だ被害の拡大は終息せず、震度6強にも達する激しい余震が現実に起こっており、既に甚大な被害をもたらしている福島第一原子力発電所事故の処理は、予断を許さない状況が続いている。
 ある識者が、『3.11を境に「戦後」が終わり、「災後」が始まる』と記していたが、現実は、まだまだ「災中」なのであろう。

 そんな中、今日は、4年に一度の統一地方選挙の前半戦の投開票日である。高松でも、香川県議会議員選挙の投開票が行われる。被災地の選挙執行はさすがに物理的にも不可能で、特別立法により延期がされたが、高松も含めて、被害を受けていない地域でも、選挙どころではない、という気分が支配していて、選挙カーもほとんど走らない、静かな異例の選挙戦となったようだ。

 そして、来週17日(日)は、いよいよ、高松市長選挙、高松市議会議員選挙の告示日である。私も、再選をかけて高松市長選挙に立候補する。市議会議員選挙で一部を除く市議会会派間で選挙カーの自粛が申し合わされたため、私の選挙戦でも、選挙カーは使わず、車で移動しながらの街頭演説が運動の中心となる予定である。
 私が今回の選挙で訴える政策は、「高松クリエィティブ・イノベーション:創造性豊かな海園・田園・人間都市へ」というテーマをもった「大西ひでとマニフェスト2011」 に掲げてある。その中でも、まずは今回の大震災の教訓も踏まえた高松市の防災対策の点検、見直し、再構築とコミュニティの再生を強調しておきたい。「安全安心」のための防災対策は当然だが、今回の災害でも、いざという時の人と人の絆、地域の絆の有難さ、「コミュニティ」の重要性を再認識させられた。


 そして、マニフェストを構成する12の政策キーワードの元に掲げた合計60の施策について、今後の4年間で着実に実施し、高松市の更なる飛躍発展を図っていくことを訴えていきたいと思う。

 出陣式は、4月17日(日)午前9時より、高松市三名町の大西ひでと後援会事務所で執り行います。選挙マニフェストのチラシも配りますので、是非とも多くの市民の皆様にお越しいただければ、幸いです。

 東日本大震災の被災者の皆様に改めて心からお見舞い申し上げますとともに、被災地の一日も早い「災後」の復興が成されんことを祈っています。


■■■ 第百三回 ■■■

追悼と祈り(東日本大震災の被害について)

3月14日

 町全体が津波に根こそぎ掻っ攫われた無残な姿が、映像で次から次へと流されるのを見ているだけで身体が震えてきます。また、地震後3日がたっても未だ「安否不明数万人」と伝えられており、被災した地域と住民の悲しみの深さを思うとき、胸が締め付けられる思いがします。

 特に宮城県仙台市は、私が大学を卒業して社会人となった最初の2年間を過ごした思い出深い街です。そして、宮城県庁に勤めていたときの同僚で、大きな被害にあった海沿いの町に在住、または出身の方も多く存じあげています。その方々一人一人の無事を確認する術もなく、私個人としては、ただただ皆様のご無事を祈るしかありません。

 高松市としては、今回の大地震の被害に対して、いち早く災害支援対策本部を設置し、体制を調えているところです。今後、復旧、復興活動が本格化するにしたがって、国や県とも連携しながら、必要となる様々な支援を行ってまいりたいと思います。

 以下、本日市議会の冒頭で行った、今回の大地震に関しての私の発言を記しておきます。

 お許しをいただきまして、質疑に先立ち、去る3月11日午後2時46分に発災した平成23年東北地方太平洋沖地震により、亡くなられた多くの方々と、そのご遺族に対し、高松市民を代表して、深く哀悼の意を表しますとともに、被災された方々に心からお見舞いを申しあげます。
 また、現在もなお、数万人ともいわれております数多くの行方不明の方々がいらっしゃいますことに対し、早期の発見、救助・救出を心から願うばかりでございます。
 今回の地震災害は、国内観測史上最大のマグニチュード9.0という未曾有の大地震であり、宮城県での最大震度7をはじめ、東北地方を中心に北海道から九州地方まで、震度を観測する日本全体を巻き込む大災害でございました。
 津波被害もすさまじいものがございました。津波は、太平洋岸はもとより日本海にまで押し寄せる勢いで、香川県にも津波注意報が発表されましたが、幸いにも本市を含め、香川県内では被害は発生しませんでした。
 この地震や津波で甚大な被害に遭われました自治体に対しまして、本市といたしましては、地震が発生した翌日に、支援対策本部を立ち上げ、人員の派遣や物資の提供など、できる限りの支援ができる体制をとったところでございまして、一昨日には、県と丸亀市と合同で給水タンク車を被災地に派遣し、宮城県岩沼市において活動を開始いたしますとともに、昨夕、親善都市であります水戸市に向け、毛布や飲料水等の救援物資を搬送するため出発したところでございます。
 今後も、状況を見ながら、市民の皆様の御協力を得て、また、国や県とも相談しながら、被災地の自治体や住民の方に対して最大限の関心と愛情を持って、支援の手を差し伸べてまいりたいと存じております。
 私は、このたびの地震災害に際し、あまりのエネルギーの大きさに改めて自然の驚異を感じますとともに、日々の防災対策の重大さを痛感したところでございまして、今後とも、市民の皆様の生命、財産を守るため、本市の防災対策にも全力を尽くして参りたいと存じております。
 貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございました。

 


■■■ 第百二回 ■■■

善以縁昇(善は縁を以って昇る)

2月24日

 今週、市役所ロビー1階で展示が行われている職員文化展に今年も書の作品を出展しました。


 写真の扁額で、「善以縁昇」の4字をしたためた作品です。「善は縁を以って昇る」という言葉ですが、出典は書聖王義之の文字を集めて編纂された「集王聖教序」に出てくる4文字熟語です。それ以外では、聞いたことがありませんので、それほど一般的な熟語ではないようですが、「善行も人と人との縁が関係するとより高みに昇り、価値が増大する」、といった意味であると勝手に解釈しています。仏教語の「善哉善哉」や「袖触れ合うも他生の縁」という言葉にも通じる深みのある良い言葉だと思い、今年の作品に題材にしました。字体は、原本と同じ行書です。
 如何でしょう。


■■■ 第百一回 ■■■

いよいよ出陣準備:大西ひでと後援会事務所開き

2月13日

 一昨日と昨日の大雪(高松で5pの積雪は25年ぶりとのこと)が嘘のように、朝から快晴の青空で気温も高く、まさに俳句の冬の季語で言う「春隣(はるどなり)」の候。大安吉日の日曜日のこの佳き日に、4月の高松市長選挙に向けた新しい「大西ひでと後援会事務所」の事務所開きを執り行いました。

 新しい事務所は、高松市三名町の中央道路沿いの交通至便の地。高松の中心市街地からすればかなり南寄りですが、地理的には高松の真中あたりです。そこの空いていた事務所ビルを借りて、市長選挙までの短期決戦の前線基地とすることにしました。

 今回の事務所開きの直接の御案内は、後援会の役員の方だけに行っていたものですが、それでも60人ほどの人が早朝から集まってくれました。それと、新聞の休刊日前日の休みの朝早い時間にもかかわらず、報道関係者が多数来られて熱心に取材をしていただきました。皆様に感謝です。



 朝9時から神事が滞りなく執り行われたあと、平田喜一郎後援会長の挨拶があり、その後引き続いて、私から御礼と市長選挙に向けての決意表明のご挨拶を行いました。
 この挨拶の中で、今回の選挙に臨むに当たっての私のスローガン「刷新継続」、「高松クリエイティブ・イノベーション:創造性豊かな海園・田園・人間都市へ」を正式に公表いたしました。また、故大平元首相の施政方針演説の中の言葉、「文化の重視、人間性の回復」を今後も引き続き私の政治家としての基本理念として掲げていくことを表明いたしました。

 新しい事務所の壁面と窓にも大きく、これら「刷新継続」、「創造性豊かな海園・田園・人間都市へ」、「文化の重視 人間性の回復」の文字が掲げられています。

 高松市長選挙まであと2カ月と少し。今月27日(日)には、私の1期目のマニフェスト2007の検証と次の4年間でやるべき施策を取りまとめた新しいマニフェスト2011の発表会を兼ねて、国際ホテルにて「市政報告会」を開催する予定です。高松市自治基本条例の3つの基本原則である「情報共有」、「参画」、「協働」を私自身が実践するためにも、これから選挙までに、出来るだけ多くの市民の皆様に、マニフェストに基づいて私の政策を訴え、認知してもらい、それについての積極的な反応をいただきながら、次の展開につなげてまいりたいと思っています。
 ということで、この「市政報告会」への多くの皆様の積極的な参加をお待ちしております。

 また、新しい事務所の方へも、是非お気軽にお立ち寄りいただき、いろいろな御意見等を頂戴出来れば幸いです。


 (記事とは全く関係がありませんが、歳時記の春隣の頁を見ていると、何とものどかな秀句がありましたので、記しておきます。)

  叱られて目をつぶる猫春隣     久保田万太郎

 


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