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 さて、「高松散歩」のコーナーを作ったはいいけど、どんなことを書こうか??・・・  と、思い悩みながら、決めました。

 ★ このコーナーでは、私の好きなこと、街で見つけたこと、趣味の音楽、スポーツあたりを中心にごった煮でしかも文体等にもこだわらずに徒然日記風に記していきます。
 独断と偏見で勝手な言い分も出てこようかと思いますが、そこはご容赦を。

■■■ 第百十五回 ■■■

祇園座で弁天小僧菊之助を演ず

4月29日

 ちょうど1年前、東谷祇園座の農村歌舞伎公演を見に来たときに、保存会の佐藤会長から突如「来年は、大西市長に是非出演願いたい」との要請を受け、「日程が折り合うなら」という条件で安請負をしてしまったのがことの発端でした。そして、今日ついにその日を迎え、歴史と伝統のある東谷祇園座の農村歌舞伎公演の舞台に立つことになりました。

 演目は、いわゆる白浪五人男として知られる

私は弁天小僧菊之助役です。

 それほど長いせりふがあるわけではなく、立ち居振る舞いも典型的な歌舞伎の基本動作が多く、どうにかなるだろうと安易に構えていました。しかし、本番が近づいてきて、本来の業務で頭を悩ます出来事や課題も多く、練習する時間も余り取れずに焦りばかりが先行していました。今月に入り、中旬と昨日の2回、通し稽古をやってどうにか間に合ったという感じです。






 今日の本番も周りからは落ち着いて見えたようですが、本人は、心臓ばくばくで、最後のポーズを決め、幕が引かれたときには、「やれやれ、これで終わった。」というのが正直な感想でした。もちろん、見得を決め、大勢の観客から盛大な拍手をもらい、かけ声をかけてもらい、お捻りがたくさん飛んで来た時は、えも言われぬ快感を味合わせていただきました。
 このような貴重な経験の機会をいただいたことは、有り難いことだったと思います。

 ところで、この東谷の農村歌舞伎。始まったのは江戸時代後期で、実に180年以上の歴史を持つとされています。以来時代により盛衰はあるものの、綿々と今日まで続いているのです。そのような活動が全国的にも認められ、日本ユネスコ協会連盟から100年後も残したい文化として「プロジェクト未来遺産」の指定を2年前に四国で初めて受けています。
 この盛り上がりを持続しながら、我々の世代の責務として、今日まで伝えられてきた貴重な地域資源、文化遺産を後世にきっちりと伝え残していくべきだと思います。


■■■ 第百十四回 ■■■

五色台に行ってきました

3月19日

 五色台とは、その名の由来となった紅、黄、青、黒、白の5つの峰が並んでそびえる緑の溶岩台地で高松市の西端にあります。ちょうど東の屋島と相対する形で瀬戸内海に突き出た風光明媚な地です。
 その五色台の存在を香川に帰ってきてからこれまであまり意識することがありませんでした。根香寺の紅葉や、若竹学園への福祉施設訪問には行きましたが、それ以外ほとんど足を踏み入れていませんでした。
 小中学校の頃は、少年自然の家での五色台学習みかん狩り観光などで、よく訪れた身近な観光地でした。それが、最近は名前を聞くことすら少なくなっているような気がしています。

 そんな中、ちょうど、野田大燈さんのを一度見学させてもらいたいと思っていたのと、瀬戸内国際芸術祭の総合ディレクターである北川フラムさんが、五色台の瀬戸内歴史民俗資料館などを訪れて大いに感銘を受け、五色台で何かできないか、という話が出てきていることが重なり、日程をやりくりして先週16日の金曜日に五色台へ行ってきました。
 五色台に上り、まず、 に面会です。野田大燈さんは、サッカーの元日本代表監督である岡田武史さんの座禅の師匠で心の師としても有名な方ですが、五色台で、引きこもりなどの若者を合宿形式で立ち直らせる若者自立塾や、情緒障害児短気治療施設「若竹学園」の運営をされています。これまで何度か会合でお会いしたことはあったのですが、喝破道場そのものを見学し、じっくりとお話を聞かせていただいたのは、今回が初めてです。


 この喝破道場は、野田大燈さんが出家得度して故郷高松に帰ってきて、この山の上で醤油樽での生活からはじめた修行の場です。醤油樽から中古のバスに移り、今はちゃんとした施設になっていますが、ずっと不登校や非行の青少年を受け入れ、更生の手助けをやってこられました。
 野田大燈さんにお会いしていつも思うのは、高名な禅僧にもかかわらず、威圧感が全くなく、逆にすっと近くに吸い寄せられるような不思議な引力を持った人である、ということです。
 今回も道場やハーブ園を和尚自ら案内をしていただき、見せていただきました。
 ハーブ園は、ローズマリーを中心にして栽培がされていました。五色台ハーブ園と言えばローズマリー、といった定評がつくことを狙っているそうです。また、「禅ハーブ」という商標もとられたようで、喫茶店と併せて経営の方もしっかり考えられているようです。
 喫茶店でカモミールなどをブレンドしたハーブティーをいただき、心が落ち着きました。

 野田大燈さんには、新年度の新しい事業である生活保護受給者の自立支援のプログラムにご協力いただくこと




になっています。良い成果が出てくれることを期待したいと思います。

 その後、瀬戸内歴史民俗資料館を訪れました。
 当時の金子正則知事が手がけ、県職員の山本忠治氏が設計し、和泉正敏さんが石組みをしたこの石造りの建物の存在感は圧倒的です。昭和48年開館で、私は、開館当初に中学校の時見学した覚えがあります。今回の訪問は、それ以来、実に約40年ぶりでした。でも外観の威容はもちろんですが、内部の船の展示なども、若干の記憶は残っていました。
 北川フラムさんが、先般初めてここを訪れて、瀬戸内の海と船と民俗の歴史を記すグレードの高い資料館としてその建物の建築的価値とともに絶賛をされていました。

 実現できるかどうかはわかりませんが、次回の瀬戸内国際芸術祭に絡ませられないか、という話もでているようです。

 そして、帰りに自然科学館から少し登ったところにある大崎山園地展望台に建つ流政之さんの「またきまい」を見て、そこからの眺望を楽しんできました。大鎚、小槌が目の前であり、瀬戸大橋もきれいに見え、すばらしい展望台です。そしてその風景にとけ込んだメッセージ性のある流さんの石の彫刻もすばらしい。
 ただ、残念ながら、展望台は車が通る道路から少し中に入り込み離れているため、わかりづらく、訪れる人もほとんどいないようです。「またきまい」につれられて「またきたい」から、アクセスの利便性を考えなくてはなりませんね。

 何れにしても最近は、五色台観光も廃り、教育施設も昔ほどには活用されていなく、せっかくの資源がもったいないと思います。
 坂出市側になりますが、大河ドラマ「平清盛」にも出てきている崇徳上皇の御陵がある白峰寺もあります。
 東の屋島とともに西の五色台にももう少しスポットライトを当てていくべきだと考えています。


■■■ 第百十三回 ■■■

職員文化展:「独坐大雄峰」と「妙」

3月9日

 今年も、職員文化展に書の作品を出展しました。

 会場が昨年までの市役所一階ロビーから二階の廊下脇に変更になり、作品の大きさが最長2メートルに制限されたため、半切2分の1を軸にした作品と小さな額に入れた作品の2点を出しました。

 大きい方の作品は、行草体で書いた「独坐大雄峰」。
 『碧巌録』という書物の第26則にある、百丈懐海禅師(720−814)の言葉です。
 禅問答のやり取りの一部ですが、それは、次のようなものです。

 【僧、百丈に問う「いかなるか是れ奇特の事」。
 丈云く「独坐大雄峰」。 僧、礼拝す。丈、すなわち打つ。】

(ある時、弟子が百丈禅師に尋ねました。
「この世で最もありがたいことは何でしょうか?」
 百丈禅師は答えます。
「わしがこうしてこのお山に、どんずわっておることじゃ!」
 すると、僧は礼拝しました。百丈は竹篦(しっぺい)でピシリとその僧を打ちました。)

 禅問答ですので、通常の思考を超越した世界で、解釈は自由なのでしょうが、些事を忘れ、雄大な心持ちにさせてくれる言葉だと思います。

 小さな額に入っているのは「」。
 何か一文字を作品にと探していたときに、「卓越した」とか「優れている」ことを表す仏教でよく使う「」という字が浮かんで来て、作品にしたものです。

 書自体はまだまだ満足できる出来映えではありませんが、こうやって毎年作品を出展することにより、それが励みになり、少しずつは上達して行けるのだと思います。

 これからも時間を見つけて書の稽古がんばります。


■■■ 第百十二回 ■■■

2つのシンポジウムに参加して

1月29日

 先々週と先週、高松市で立て続けに2つのシンポジウムがあり、私も双方に講演者、パネリストとして参加してきました。

 一つは、1月18日(水)に行われた総務省主催の「定住自立圏構想推進シンポジウム」。


 定住自立圏構想というのは、これからの人口減少、超高齢社会において、地方が生き残りを図るために、地域における中心となるべき都市が広域的な将来構想を掲げ、周辺の市や町と相互協力協定を結んで、人口や文化の流出を抑制し、将来にわたる魅力と活力のある地域を作っていこうというもので、総務省が旗振り役となり、全国で展開しているものです。高松市は、この構想が発表されるや否やいち早く中心都市として名乗りを上げ、平成22年度から周辺の綾川町、三木町、島嶼部の直島町、土庄町、小豆島町の5町との間で「瀬戸高松広域定住自立圏」として事業を展開しています。そして、この4月に


は、さぬき市と東かがわ市が仲間に加わり、より広域で取り組むこととしています。

 シンポジウムでは、市民や行政関係者ら約200人が集まりました。県外からも北は青森県、南は鹿児島県から見えていました。「文化芸術の振興による地域力の創造に向けて」というテーマの下、日本における創造都市研究の第一人者である大阪市立大学大学院創造都市研究科教授・佐々木雅幸氏の基調講演が行われました。定住自立圏の圏域で、中心都市を核として魅力のある創造都市を目指していくべきとの趣旨で、イタリアのボローニャなどの先進事例を紹介していただき、これから魅力ある創造都市づくりを目指している本市にとっても大いに参考になり、また励まされた講演でした。

 続いて、私から瀬戸・高松広域定住自立圏の目指すべき将来像や主な取組み内容について紹介しました。その後、パネルディスカッション。アサヒビール芸術文化財団の加藤さんをコーディネーターとして、地元NPO法人アーキペラゴの三井さんと、三菱UFJ総研の太下さん、総務省の牧課長と私で意見交換をしました。
 私からは、「創造性豊かな海園・田園・人間都市へ」というテーマの下、更なる文化芸術の持つ創造性を生かした産業振興や地域活性化の取組、良好な都市景観の形成と環境美化の推進などにより、高松の都市ブランドイメージの向上を積極的に図っていき、その成果を広域に波及していく考えなどを説明させていただきました。

 もう一つは、22日(日)に行われた本市と香川県都市計画協会が主催した「たかまつ美しいまちづりシンポジウム2012」です。

 本市では、コンパクトで美しいまちづくりをより積極的に進めるために、美しいまちづくり条例を制定し、その趣旨を実現するため強制力を持ち、高さや色の規制も含めた景観法に基づく新たな景観計画を策定、都市景観条例を改正しようとしています。このような本市の美しいまちづくりに関する基本的な考え方や今後の景観行政の展開について、より市民に理解し、積極的に美しいまちづくりに参

画、協働してもらうために、このシンポジウムを開いたものです。

 まず、主催者として挨拶するとともに、シンポジウムの冒頭では、良好な都市景観の向上に寄与していると認められた建築物と活動に対して表彰する「高松市美しいまちづくり賞」の表彰式も執り行いました。

 そしてシンポジウムでは「暮らし訪れたいと感じるまちに」をテーマに、早稲田大学の佐々木葉教授の基調講演と、香川大学の関教授をコーディネーターに全国初の景観計画を策定した近江八幡市の冨士谷市長、銀座街づくり会議の竹沢さん、丸亀町商店街の古川理事長と私でパネルディスカッションを行いました。

 佐々木教授の講演は、そもそも景観とは何か、というところから始まり、国内の様々な事例や香川、高松の景観の良いところ、悪いところなどを具体例を示しながら話していただき、非常に参考になりました。特に、里山とため池の景観は讃岐平野独自の魅力的なものとして大切に保存していくべきだとのご意見は、我々が身近にありすぎてつい見落としがちになる価値を再認識させていただきました。

 パネルディスカッションでは、日本で最初に景観計画を作って水郷を保全し、今では320万人の観光客を集めている近江八幡市の先進的な事例、ほぼすべてのビルや屋外広告のデザインをチェックする銀座のデザインルール、地元丸亀町商店街の再開発での景観デザインの考えかた、がそれぞれパネリストから紹介され、いずれも今後の本市の景観行政に非常に役立つ示唆に富んだものでした。

 特に、自治会活動と風景保全が密接に結びついていて、まさに協働による美しいまちづくりが実践されている近江八幡市の事例とデザイン審査にあらかじめ決まった数値基準等はなく、「銀座らしいかどうか」で判断されるという銀座のデザインルールには、それぞれ「流石!」とうならされました。

 この2つのシンポジウム。取り扱った行政分野と内容は異なりますが、議論の先におぼろげに見えてきた本市が目指すべき理想とする都市像は共通しているように思います。

 それは、私が1期目のマニフェストで掲げた「文化の重視と人間性の回復を基本理念とした真の田園都市・高松」であり、2期目のマニフェストのテーマとした「創造性豊かな海園・田園・人間都市」です。その意味で、これまでは公約の言葉の上だけのものであったものが、ようやく具体的な姿として浮かびあがろうとしているとの手ごたえを感じたシンポジウムでもありました。


■■■ 第百十一回 ■■■

祝!姉妹都市提携50周年(訪米帰朝報告)

10月22日

 姉妹都市提携50周年記念式典記念行事に参加するため、14日から20日まで、高松市の姉妹都市であるアメリカ、フロリダ州、セントピーターズバーグ市と視察を兼ねて経由地であるニューヨーク市を訪ねてきました。
 私と議会代表、姉妹都市委員会の会長らの公式訪問団9人と、飛行機等は別便でしたが、親善交流事業を行うために自費で参加の市民訪問団も合わせて総勢約80人という大デレゲーションでした。

 セントピーターズバーグ市と高松市とは、昭和36年に外務省の紹介を通じて姉妹都市提携を結んでいます。現在でも飛行機を乗り継いで、約20時間近くかかる地球の反対側に位置する両市を、50年前に姉妹都市として位置付け、確実に交流事業を続けてきた先人たちの努力は敬服するばかりです。そして、50周年の記念行事を両市でそれぞれ盛況に開催できることは、本当にありがたいことだと思っています。
 日米の姉妹都市も、最近では交流が形骸化している例も多いとの話を外務省の担当官から聞きました。こんなにたくさんの市民が訪問団としてやってきてお祝いをするような例は、最近聞い

タンパ空港の掲示板に、歓迎のサインが出ていた。感激。

たことがない、とも言っていました。それだけ、貴重な交流だと思います。

新しいダリ美術館

 市民訪問団は平均年齢71歳。高齢の方が多く、大丈夫だろうかと心配しましたが、杞憂でした。皆さん元気いっぱい。飛行機が大きく遅れたほかは、大きな事故やトラブルもなく、全く無事に、というより全員が大いにアメリカを楽しんで帰ってきたようでした。
 今回の訪問が成功したのは、この市民訪問団の皆様の参加と応援のお陰だといっても過言ではなく、心から感謝したい思います。

 セントピーターズバーグ市は、私が2年前に訪れた時よりもさらににぎやかで魅力的になっていました。特に、全米の中規模都

市の中で「アートの街」として2年連続第1位に輝いているだけあって、文化芸術面での充実が際立って目につきました。

 ダリの世界一のコレクションで知られるダリ美術館が移転新築され、これも世界的なガラス工芸作家であるチフーリの作品を集めた美術館もオープンしており、多くの人で賑わっていました。いずれも見学させていただきましたが、見ごたえのある素晴らしい美術館でした。

 また、セントピーターズバーグ市にアトリエを構えて芸術の創作活動を行っている2組のアーティストのスタジオ兼自宅も訪問しました。いずれのアーティストも、市の芸術に対する積極的な支援策を評価していて、市の政策が有効に成果を挙げていることを実感しました。このうちの一人、ダンカンさんは、素晴らしい50周

市立美術館の隣の公園に記念植樹をしました

年記念のガラス工芸品を特別に製作してくれ、高松市に寄贈いただきました。別途送ってもらっていますので、届けば市民の皆さんにも見て喜んでいただけると思います。

ダンカン氏から特別に制作した50周年の記念作品を寄贈いただく

セントピーターズバーグの中心街のパブリック・アート

セントピーターズバーグ市から感謝状をもらいました。

 

突然呼び出され、ベーカー前市長らとユアマイサンシャインを歌わされました

セントピーターズバーグの消防署を視察

セントピーターズバーグのホテルで子どもたちがヴァイオリンで見送り

 

イサムノグチ庭園美術館(ニューヨーク)

 今回は、公式行事等とともにアートを巡る旅となりました。ニューヨークでも、メトロポリタン美術館イサムノグチ庭園美術館を見学しました。
 メトロポリタン美術館は私は2回目でしたが、再び、その膨大でハイレベルのコレクションに圧倒されながら、時間の許す限りいろいろと見て回りました。今回は、全世界で35枚しか確認されていないフェルメールの絵を4枚じっくりと鑑賞できたことが一番の収穫でした。
 ニューヨーク財団のイサムノグチ庭園美術館は、牟礼の美術館の言わば本家にあたります。イサムノグチの作品そのものが多く保存されていると同時に、実際にイサムノグチが製作してい

た現場の隣の倉庫を改修して美術館としたもので、イサムノグチ自身が設計や作品配置をしていて以前からどうしても訪れてみたい場所でした。やはり、そこには牟礼の美術館と同じ、何とも言えない緊張した、それでいながら日本のしなやかさを感じる気というべきものが充満していました。建築物も庭も日本とは異なるものでありながら、雰囲気や佇まいに同じものを感じさせるところがあります。「違うけど同じ」という宿命の越境者と言われたイサムノグチの両面性をそれぞれが象徴しているのかもしれません。

 その他、セントピーターズバーグ市やニューヨーク市の街の風景や公式行事等の内容の詳細は、別途様々な機会に報告させていただくとして、省略させていただきます。

 最後に。

 今回の訪問のハイライトは、セントピーターズバーグ市郊外のトレジャーアイランドビーチから訪問団全員で眺めたメキシコ湾に沈む夕日とその後の夕焼けでした。ビーチにつくまでは、全くの曇り空で、せっかく見に来たのに夕日は見れないものと完全にあきらめていました。それが太陽が沈む瞬間に雲が切れたのです。口々に「ミラクル!」「奇跡的だ!」という声が上がりました。そして、オレンジ色の輝きが一面の雲に反射して映し出されると、それはそれは、この世のものとも思えない美しく感動的な情景となりました。日没に伴う夕焼けでありながら、「日はまた昇る」、「新しい世界が始まる」ことを想起し、確信させるものでした。

 トレジャーアイランドビーチの夕焼けは、セントピーターズバーグ市と高松市のこれからの姉妹都市交流の充実発展を予感させるものでした。
 この祝福を受けて、私たちは新たな50年の歴史に向けた一歩を踏み出し、しっかりと後世に繋いでいきたいと思います。

夕日をバックに砂で作ってくれた50周年のモニュメントを囲んで記念撮影 

感動的だったトレジャーアイランドビーチの夕焼け 


■■■ 高松散歩バックナンバー ■■■