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 さて、「高松散歩」のコーナーを作ったはいいけど、どんなことを書こうか??・・・  と、思い悩みながら、決めました。

 ★ このコーナーでは、私の好きなこと、街で見つけたこと、趣味の音楽、スポーツあたりを中心にごった煮でしかも文体等にもこだわらずに徒然日記風に記していきます。
 独断と偏見で勝手な言い分も出てこようかと思いますが、そこはご容赦を。

■■■ 第三十回 ■■■

第24回四国こんぴら歌舞伎大芝居(座頭:市川海老蔵)

4月12日

 江戸時代の芝居小屋をほぼそのままに保存、復元した琴平町の金丸座で毎春開催され、歌舞伎ファンを中心に全国の注目を浴びているこんぴら歌舞伎大芝居に初めて行って来た。
 前々から、是非行きたいとは思っていたのだが、香川から離れて暮らしていて、その時期に帰郷できなかったり、また、非常に人気が高く、チケットはなかなか手に入らない、という噂に半分あきらめてもいた。

 今回、帰郷して高松に在住して、やっと永年の念願かなったというところ。
 しかも、今回は瀬戸大橋開通20周年記念も併せていて、女性ファンを中心に現在絶大な人気を誇る11代目市川海老蔵を座長とする若手を中心とした豪華俳優の公演である。 

 海老蔵を直接見られる、と若干興奮気味の妻と二人で胸をときめかしながら琴平に向かった。

 開演前に時間があったので、金比羅さんに参拝し、昨年、資生堂が本殿下に出したという「神椿」という喫茶店でお茶を飲む。

 名残の桜に新緑が芽吹こうとしている自然の山麓風景と現代アート調の喫茶室のデザイン、雰囲気がマッチしていて、短時間の滞在だったが、清涼な季節感を味わうことができた。


 そして、歌舞伎鑑賞。私が見たのは、午後の部で、出し物は、「夏祭浪花鑑(三幕)」と「供奴」。熱心な歌舞伎ファン、海老蔵ファンが県外からも多数来ていたようで、金丸座は、一種異様とも言える雰囲気で盛り上がっていた。市川海老蔵も、さすがの存在感に「」があった。また、他の役者も含めて、見せ所の多い、魅力たっぷりの演技で十分に楽しませてくれた。
 客席に限りがある小さな芝居小屋ならではとも言えるが、これだけ、舞台と客席が一体となった雰囲気は、確かに現代の劇場やホールでは、決して味わえないものであろう。音響効果も素晴らしく、まさに、生の雰囲気、空気が支配していて、客も自然と物語の中に引き込まれていって、五感を揺さぶられるのである。歌舞伎を、演目を、そして金丸座と言う芝居小屋を十分に堪能して、満足のいく芝居見物であった。

 ちなみに、「夏祭浪花鑑」は、主人公が義理が絡んだ諍いから舅(義理の父親)を殺してしまうと言う話。「父殺し」というテーマは、最近触れたものだけでも、「カラマーゾフの兄弟」、「海辺のカフカ」、「オイディプス王」とあり、古今東西を問わず、人間の生き様を描写する文学、物語の主要テーマである事件なんだ、と頭の中でシナプスが「アハッ」とばかりにつながった。

 こんぴら歌舞伎大芝居は、観光資源としても超一級品である、と再認識。
 高松市の観光にも、この金比羅さんとこんぴら歌舞伎との連携を拡充することはできないものか、とオフの時間を楽しむつもりがついつい仕事モードも入ってしまうのは悲しい性ではある。
 でも、昼に食べた「宮武」のうどんと天ぷらの満足感も併せて、十分に楽しめ、充実した休日であった。


■■■ 第二十九回 ■■■

羽中田カマタマーレ、やれやれの白星発進

4月6日


 本日午後から、幸い他に行事等が入っていなかったので、楽しみにしていたカマタマーレ讃岐の今シーズンの四国リーグ開幕戦を見に県営生島サッカー場に行ってきた。羽中田監督のリーグデビュー戦でもある。

 チーム関係者の前宣伝と羽中田効果で、初戦から過去最高だという1300人余の観衆を集めていた。マスコミの注目度も高く、テレビカメラが何台も並んでいたし、特番を作成するとかで、あのセルジオ越後さんまで来ていた。


 しかし、選手がそれで緊張して固くなったわけでもないのだろうが、試合が始まり、2点を先制したまでは良かったが、ミスから失点を重ね、前半は2対2の同点での折り返し しかも後半が始まって早々に、同じ失敗で逆転を許すと言う不甲斐なさ。
 昨年のリーグ下位チーム相手に大量得点をして相手を無失点で押さえ、大勝して当然と思っていただけに、後半早々2対3となった時点で、ファンの多くは「まさか」の思いで冷や汗たらりだったのではないか。逆転されてからやっと目覚めた感じで猛攻、得点を重ね、終わってみれば10対3という結果ではあったが、どうにもいただけない試合だった。

 この調子では、いつか取りこぼしをしそうで、目標のJFL昇格に黄色信号が灯ってしまう。そんな弱気にもなりかねない内容に関係者もこのままではいけない、と思っていることだろう。
 でもまあ今日のところは、初戦の大勝という形式的な最低条件はクリアできたということで、関係者には「おめでとう」と言っておきたい。
 明日からまた、兜の緒を締めなおして、頑張って欲しい。



■■■ 第二十八回 ■■■

樹齢80年超 西方寺配水池のソメイヨシノ

4月4日


 市の水道局が管理している西方寺配水地に植えられているソメイヨシノ八本が、樹齢80年を超えていると言うことで、この4月1日付で高松市の天然記念物に指定され、明日(5日)と明後日(6日)に初めて一般公開されるということで、一足先に見てきました。
 なるほど、80年もの長きにわたり、周辺環境が保たれ、人がほとんど足を踏み入れなかったのが良かったと言うだけあって、天空、水平、大地に向かって伸び伸びと枝を張り巡らせていて、その雄大な形に圧倒されます。


 また、花も今丁度満開直前ぐらいの見ごろであり、花の色は、若い桜の華やかさからすれば、少しくすんだようにも見えるものの、落ち着きがある趣のあるものでした。
 一年に一度だけの公開ではもったいないような気もしますが、貴重な桜を末永く保護していくことを最重点にしながら、市民の皆様にも知っていただき、高松市の隠れた新たな名所になってくれればと願っています。


■■■ 第二十七回 ■■■

せんたく=選択?、洗濯?

3月30日

 急に冷え込み、雨が降って肌寒く生憎の日曜日となった本日、「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合(せんたく)」の「地方政府創造会議」設立総会に出席するため、日帰りで上京して来ました。 (写真は、赤坂プリンスホテル前の桜です。)

 会議は、ホテルニューオータニ・本館地下の宴会場で行われましたが、せんたく参加メンバーのうち、北川代表、山田啓二京都府知事・地方政府創造会議座長以下世話人、幹事、運営委員、メンバーで総勢約50名あまりが集まり、盛況でした。知事は6人ほどが本人出席していましたが、全体的に市長の参加人数が多く、結構目立っていました。

 増田寛也総務大臣も駆けつけ、「地方政府」を創造する会議の設立は、大変意義深い、などと祝辞を述べていただきました。
 マスコミにもそれなりに注目されていたようで、テレビカメラの放列と記者らしき人物が多数きていました。特に私の二つ隣に座った東国原宮崎県知事の注目度は相変わらずで、彼がしゃべりだすと会場全体が彼にズームインして注目が集まりました。 



 設立総会ですので、これまでの経過と選択国会議連を中心とした現在の状況報告、今後の運動方針の取りまとめの話が中心でしたが、市長の何人かから、地方政府とは、基礎的自治体、つまりは市町村を主体として想定して考えていくべきで、都道府県は、それに協力して欲しい(邪魔をしないで欲しい)と言った勇ましい発言も飛び出しました。

 国会のねじれ現象によって、現在我が国の重要政策意思決定機能が麻痺している状態です。そのような時期に、地方分権を中心とした重要政策課題を国民が選択できるような形で示しながら、真に国のため、国民のためになるように動かしていく。それが、今回設立の運びとなった国民運動の母体である「せんたく」の使命であると認識しています。

 せんたく=選択、洗濯、クリーニング、チョイス、セレクトといろいろ敷衍した言い方ができます。
 日本を良くする為のいろいろな「せんたく」のプラットフォームにならん、というのが「せんたく」の趣旨になっています。

 参加することにしたからには,私自身も、これまでの知識、経験を生かして、北川代表が言う「平成の民権運動」推進の一助となるべく、今の志(初心)を忘れずに汗をかいていきたいと思っています。


■■■ 第二十六回 ■■■

音楽の瀬戸大橋−瀬戸フィル・岡山フィルジョイントコンサート

3月16日

 香川と岡山のオケが奏でる音楽が備讃瀬戸をつないだ。音楽の瀬戸大橋開通だ。とまで大袈裟にはしゃぐ必要はないし、そこまで言うと却って失礼かも知れない。


 でも、今日の瀬戸フィルハーモニー交響楽団岡山フィルハーモニック管弦楽団のジョイントコンサートは、そんな興奮した言葉がでるくらい見事な演奏で聴衆をうならせ、大成功だった。

 瀬戸大橋開通20周年を記念して、(財)高松市文化芸術財団、高松市などが主催して開催したコンサートにお誘いを受けて行ってきた。瀬戸フィルは、2001年に四国で初めてのプロのオーケストラとして誕生し、香川県内を中心に活動を行っている楽団だが、オケとしての演奏を聴くのは今日が初めてであった。岡山フィルと瀬戸フィルで掛け持ちしているメンバーもいるとかで、岡山フィルとのジョイントコンサートと言っても、元々一つの楽団のような非常に全体としてのまとまっていた印象を受けた。


 何よりもレベルの高さが際立っていたのが、瀬戸フィルのミュージックアドバイザーでもある山田和樹の楽曲を探求しつくし、楽団を統率しきった情熱的な指揮振りである。指揮者のリーダーシップを強く感じた演奏というのは私にとって久しぶりであった。また、ラフマニノフを弾いたピアノの松本和将も才気がほとばしり出てくるような精魂こもった演奏で聴衆を魅了した。
 プロフィールを見ると二人は東京藝大の同級生のようで、それもあって息もぴったりだったのだろう。ともに28歳。二人とも末恐ろしいまでの完成度の高さを持っていた。

 今回のプログラムは、途中山田氏がマイクを持って解説したように、できるだけたくさんの人に来てもらうためにと、ロシアの作曲家のポピュラーな曲をそろえたようだ。グリンカの「ルスランとリュドミラ・序曲」から始まり、「のだめカンタービレ」でも人気の高いラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」、そして、休憩を挟んで締めはこれもおなじみチャイコフスキーの「交響曲第5番」である。聴衆にもなじみやすく、じっくりと音楽を聴き、楽しめる雰囲気ができたのは狙い通りであった。 
 もちろん、オーケストラの演奏も指揮者と息がぴったりで、こういっては失礼だが、はるかに私が予想していたよりも水準の高いものを聴かしてくれた。この日のためにしっかりと練習をし、自信を持って臨んでいたのが端々から伺えた。演奏者の一人一人に「おめでとう」と声をかけてあげたいくらいであった。

 「世界の宝石」瀬戸内海を間にして向かい合う、二つの地域楽団のジョイントコンサート。今日のコラボ演奏は、まさに音楽による七色の虹の架け橋であった。 

 こんな良い企画は、今後もどんどんやってほしいものである。


■■■ 第二十五回 ■■■

高松市職員文化展−五福祥来−

3月8日

 先週の4日(月)から市役所一回ロビーで行われていた高松市職員文化展に「五福祥来」の書の掛け軸を出展していました。
 「五福祥来」は五つの福がめでたく集まってくる、の謂で、五福とは、長寿富裕無病息災道徳を楽しむ天命を全うする、ことを言うそうです(長寿、富、貴、康寧、子孫衆多とも)。

 私が書をやっていることを市役所の書道部の役員がどこからか聞きつけて、「色紙でもいいから」と依頼されていたもので、せっかく出すならと、おめでたい語句を軸装にしてということで思い立ったまではよかったのですが、実際作品が仕上がるまでは悪戦苦闘でした。それでもどうにかこうにか、自分でも満足できるものが仕上がりました。



 肩書きは付けずに「賛助会員 大西秀人」とだけしていたのですが、多くの人が気づき、見ていただけたようで、お褒めの言葉もいくつかいただきました。
これを機に書のほうもさらに精進したいと思います。時間が取れないのが悩みの種ではありますが。


■■■ 第二十四回 ■■■

やっぱり「春はあけぼの」

3月8日


 久しぶりの寒かった冬も過ぎて、次第に春めいてきた。
 日課としている朝の散歩も億劫さがなくなり、気持ちのよい日が増えてきた。
 日の出もだんだん早くなり、清少納言が「春はあけぼの」が良い、と詠った景色そのものが見られるようになった。
 やっぱり「春はあけぼの」が「いとをかし」である。

 今朝も素晴らしい屋島のあけぼのと日の出の風景が見られたので、その写真とともに、枕草子の出だしである「春はあけぼの」の章を記しておくこととする。

春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明りて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
 夏は、夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。
 秋は、夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音(ね)など、はた言ふべきにあらず。
 冬は、つとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。





■■■ 第二十三回 ■■■

書道博物館と子規庵 そして「母べえ」

2月25日

 22日(金)の夜と25日(月)の朝に東京での行事が入ったため、久しぶりに東京で休日を過ごすこととなった。
 そこで、前々から行ってみようと思っていてかなっていなかった鶯谷駅から徒歩5分のところに向かい合ってある書道博物館子規庵を訪ねてきた。

 鶯谷の駅前周辺は、およそ高名な文化施設の立地には似つかわしくない環境であり、私自身も歩いていて若干不安になったが、どうにか案内板と地図を頼りに見つけ出すことができた。中村不折も正岡子規も明治の古き良き台東区根岸界隈にお住まいであったのだから、現地保存として仕方ないのかもしれないが、どうにかならなかったものかと思う。


 始めに書道博物館に入る。ここは、洋画家であり、書家でもあった中村不折が独力で集めた中国及び日本の書道史研究上重要なコレクションを展示した専門博物館。殷代の甲骨文字に始まり、青銅器や鏡鑑、瓦当、石経、仏像などなど重要文化財も12点あるとのことで、書道に興味がある人にとっては、観るもの観るものがまさに宝物だらけ。私の好きな北魏時代の石碑文の本物も展示されており、初めて実物を目にして感動を覚えた。
 そして、書道博物館での一番の収穫は、中村不折の龍眠帖(写真はその一部)全文が記された法帖を購入できたことである。
 この「龍眠帖」なる書は、中村不折が磯部温泉で療養中にリハビリの一環として書いた習作である。これを俳人・河東碧梧桐が見て、絶賛し、世に出したところ、当時の書道会を二分するような賛否両論を巻き起こしたという。それはそうだろう。正統派の書の作品ではなく、今様に言えば「へたうま」の書である。
 私も初めて目にしたときは、正直「何じゃこれは。よく分からん」と思った。でも不思議に胸騒ぎを覚えた。


 初めてピカソの絵やシャガールのリトグラフや荒井良二の絵本を観たときと同じような、頭や胸の中で何かが動き出すような感じがして不安になるのだけれども、不思議な力で引き付けられるような魅力があったのである。
 その「中村不折愛蔵版 龍眠帖」の法帖が手に入ってうきうきした気分となり、書道博物館を出る。


 そして、向かいの子規庵へ。ここは、子規が晩年を母と妹とともに過ごした家を復元したものである。子規の生前には夏目漱石、森鴎外、高浜虚子、伊藤左千夫、与謝野鉄幹、島崎藤村、会津八一そして中村不折や河東碧梧桐など友人、門弟等が訪れ、近代文学の原点ともなった場所である。
 病室兼書斎であった6畳間にある伸ばせなくなった左ひざを入れるため板をくりぬいた子規愛用の机の前に座り、子規の好きだった糸瓜の棚越しに前庭を眺めて見ると、冬のため花は見られず殺風景ではあったが、何となく周辺の喧騒を忘れさせる明治の風情がほんの少しだけ感じられた。


 その後、東京の下町散歩のついでに上野で上映中だった映画「母べえ」を見る。
 ある程度は覚悟していたが、始まって数分でもう我慢できず、恥ずかしながらずっと泣きっぱなしとなってしまった。
 吉永小百合も上手くてよかったが、「初べえ」、「照べえ」の子役2人の自然体の演技に完全にやられてしまった。

 下町散歩で心豊かにリフレッシュして、映画で感動して泣きカタルシスを得る。随分得した気分になれた東京における休日であった。


■■■ 第二十二回 ■■■

オイディプス王公演:安田氏&山の手男と讃岐女

2月9日

 香川、高松においてこれだけの演劇作品が、小劇場の五感全体に訴えかけてくるような雰囲気そのままに味わえるとは思ってもいなかった。
 劇団山の手事情社×シアター・プロジェクト香川のコラボ作品である「オイディプス王」を県民ホール(アクトホール)で観てくる。

 著名で卓越した演出家である安田雅弘氏と劇団山の手事情社の男優の手は借りているとはいえ、地元香川県在住の女優達が主たる演技者である。
 ソフォクレスが2500年以上前に書いたギリシャ悲劇をベースに、現代日本に生きる女性の見た悪夢として捉えなおされた斬新な舞台で彼女達は生き生きと悲劇を演じきっていた。
 「讃岐男と阿波女」とは四国、特に香川県ではよく聞く言葉だが、これは、さながら「山の手男と讃岐女」の絶妙のコラボ作品に仕上がっていた。
 幕間のない約90分、ずっと舞台の俳優達の一挙手一投足に目を釘付けにされ、音と台詞を一音とも聞き漏らすまいと耳をそばだて、露出している皮膚全部でその空気を感じ取ろうとし、終わった後は心地よい疲労感を得て、存分に楽しませてもらった。 


 解説によるとこの「オディプス王」は、'02年に安田氏が演出した初めてのギリシャ悲劇。
 「劇中、悲惨な事実が明らかになり、主人公はそれまで疑うことのなかった自分の目をえぐり、幕が閉じます。」
 「今の日本は、物質的には世界有数の豊かさを誇っていますが、生命の意味を問う余裕のない国になっているのではないでしょうか。」
 「香川の優れた俳優たちとの本格的なコラボが、大好きなギリシャ悲劇で始動します。どうぞ、ご期待ください。」

と安田雅弘氏は語りかけている。

 安田雅弘氏は、先日、市役所にも来ていただいている。そして、高松市の今後の文化振興について、「演劇にももう少し力を入れるべきである。常設の小屋と劇団をもつことまで考えてもいいくらいだ。香川には高校演劇レベルで非常に高い水準にあるところが多く、地元で頑張ろうと思っている人たちの活躍の場をきちんとつくるべきである。」との趣旨のご提言もいただいているところ。



全国区の知名度を持ち、活躍中の安田氏が香川・高松の演劇界に情熱を持って指導していただいているのは、本市の文化振興にとっても有難い限りだし、今日の会場の熱気に満ちた雰囲気を見ても、香川、高松の演劇文化がこれから大きく花開く可能性は感じることができた。

 行政と各種文化団体、文化活動の付き合い方というのは、いろいろな意見があり、そう簡単にこうすべきだ、とは決められないものであるが、今夜の「オイディプス王」の公演を観終えて、まさに私が政治活動の基本理念としている「文化の重視と人間性の回復」というのは、(ギリシャ悲劇という演目の内容も含めて)こういうところにその核心があるのかもしれない、とは思った次第。

 音楽コンサートには結構足を運んできた私だが、実は、これまで生の演劇舞台はあまり見る機会はなかった。でも、地元高松でこれだけの演劇が見られて、こんなに素敵な時間が過ごせるのなら、これは放っておく手はないな、と感じた夜だった。


■■■ 第二十一回 ■■■

人気のLRT

1月27日

今朝の四国新聞に見開き2ページ全部を使って大きく特集が載っていたが、1月12日に行われた「まちなか元気サミット2008地域振興フォーラムin高松」で私が打ち上げたLRT構想が殊のほか人気だ。
 いろいろな会合に出席するたびに、必ず誰かから「市長さん、あのLRTの話は夢があっていいですね。是非実現してください。」というような話をされるようになった。
 LRT導入によるまちづくりで全国的に注目を浴び、フォーラムにも参加いただいた富山市では、その導入によりこれまで家で引きこもっていたお年寄りが、街に出てくるようになったとのこと。実際、乗降客の調査では、乗客の20%までもがこれまで中心部に出てきていなかった人たちだというから驚く。
 車を持たない高齢者にとっては、郊外にいくら立派で広い駐車場を持った大型スーパーができても、利用しようがなく、便利にはならないのだ。高齢化社会においては益々中心部の商店街の再生と公共交通の充実が必要とされるのである。


 私がそもそもLRTに興味を持ったのは、平成17年夏にヨーロッパに出張に行ったときに「最後の授業」などで国境の街として知られるフランスのストラスブールでLRTがまさに中心市街地(有名なノートルダム大聖堂がその中心にある)をよみがえらせて、街を活性化させている様子に感銘を受けてから。パークアンドライドを徹底して中心部への車の流入を抑止して、軌道敷きは芝生を張ってグリーンベルトとなっている。町全体が公園のようで、落ち着き散策を楽しめる雰囲気なのである。
 フォーラムで特別講演をいただいた神野先生もストラスブールのLRTの導入を中心としたまちづくりを模範例としてあげておられる。


 先日、これも特別に市役所に来ていただき、講演をいただいた環境経済学のパイオニアである植田和弘教授からもこれからの地球環境対策として「エネルギーと交通」をどうするか、という問題が圧倒的に重要との指摘をいただいている。
 高松市でも、「太陽光発電の普及と自転車の活用及びLRT導入」を中心とした環境配慮型のまちづくりを考えていきたいと思っている。

 このLRT人気は、高齢化対策、地球環境対策としての時代の要請でもあるのだろうと思っている。


■■■ 高松散歩バックナンバー ■■■