長年(10期40年)県議会議員をしていた亡父が終世、政治の師と仰ぎ、私自身も最も尊敬する政治家である故大平正芳元首相の生涯の歩みを描いた新書を読み終えた。 政治学者の福永文夫氏の手によるものであるが、没後30年近くになろうとしている大平さん(本来、「先生」なり「元首相」なりと敬意を持って表すべきだが、ここでは親しみをこめて「さん」付けで呼ばせていただく。)の生涯と政治思想を本を読みながら辿り返してみて、改めて、その人物としての器量の大きさと政治家としての思想信条の確かさと先見性に感嘆させられた。卑近な表現で恐縮であるが、大平さんのような政治家を、ここ香川県から生み出したことは、まさに「郷土の誇り」であるという確信が蘇えった。
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風貌や話し方から「鈍牛」とあだ名を付けられた太平さんであるが、地元では良く知られている通り、「あ〜、う〜」と慎重に言葉を選びながら発せられた日本語は、後で文章にすると素晴らしく明快で、説得力を持ったものとなっていたことが多かった。そのような言葉(の選択)に対する慎重さに隠され、誤解されていた大平さんの文才は、その著作を見れば、よく分かる。今は私の本棚に並べてある「旦暮芥考(たんぼあくたこう)」、「風塵雑俎(ふうじんざつそ)」「永遠の今」といった太平さんの著作集の題名を見ただけでも、彼が「哲学を持った熟慮の人」であり、「戦後政界屈指の知性派」と評された文人政治家であったことは想像がつく。
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ただし、そのような性格もあってか、政局対応は、必ずしも上手かったとは言えず、「三角大福」と称された当時の自民党の派閥の領袖、総理大臣候補の中で、一番早くから総理の椅子の周辺近くを歩いていながら、結局は総理の座は一番最後でしか回ってこなかった。総理大臣は「角三福大」の順だった。そして、最後は党内抗争の末に内閣不信任案が可決してハプニング解散による初の衆参同一選挙の期間中に、70歳(の"若さ")で急逝したのである。
本書では、大平さんを権力の行使についてきわめて抑制的、懐疑的であり、戦後民主主義と平和感覚を正面から捉え、歴史・言葉・文化の持つ重みを、「含羞を持って受け止めることのできる保守政治家」であったと総括している。大平さんは、田園都市構想や環太平洋連帯構想、家庭基盤の充実を目標像として、経済の時代から文化の時代への転換を唱えた。物質的豊かさの追求から人間の内面の豊かさの追求への転換、個人と社会・国家の関係の再発見などを政治の課題として掲げ、それを実践しようとした。その試みは当時、あるいはその後、必ずしも十分な成果として現れなかったかもしれないが、アメリカ発の金融不安に端を発した世界同時不況に突入し、将来の光が見えず、混沌とした我が国の政治、経済、社会状況を省みるとき、今まさに大平正芳という政治家の存在とその政治信念、政策が、今日的妥当性をもって多くの人から求められているように思われる。 ただし、それはないものねだりでもあるのだが。
政治家として第一歩を踏み出すに当たって、大平さんの総理大臣としての最初の所信表明の中から、「文化の重視と人間性の回復を基本理念とする」という言葉と信念をお借りし、掲げさせていただいた私自身は、大平さんの爪の垢を煎じて飲ませていただきつつ、日々精進し、高松市政においてほんの少しでもその理想に近づけるよう、精一杯努力していきたいと決意を新たにしたところである。
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参考:福永文夫著「大平正芳 「戦後保守」とは何か」(中公新書)
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