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 さて、「高松散歩」のコーナーを作ったはいいけど、どんなことを書こうか??・・・  と、思い悩みながら、決めました。

 ★ このコーナーでは、私の好きなこと、街で見つけたこと、趣味の音楽、スポーツあたりを中心にごった煮でしかも文体等にもこだわらずに徒然日記風に記していきます。
 独断と偏見で勝手な言い分も出てこようかと思いますが、そこはご容赦を。

■■■ 第七十回 ■■■

それは、「美」と「農」へのオマージュだった。
     ==越後妻有トリエンナーレ・大地の芸術祭2009

8月16〜18日

 8月16日(日)から18日(火)まで、2泊3日で「大地の芸術祭2009」を見てきた。新潟県十日町市を中心とした地域で2000年に始まり、今回で4回目となる越後妻有トリエンナーレ(3年ごとの祭典)と呼ばれるイベントで、来年開催する瀬戸内国際芸術祭の先行モデルとなるものである。

 総合プロデューサーが福武總一郎さん、総合ディレクターが北川フラムさん、という布陣も瀬戸内国際芸術祭と同じ。
 私も瀬戸内国際芸術祭の副実行委員長という役でもあり、北川フラムさんから、自分が案内しても良いので、是非来て、見ておいて欲しいとの有難いお誘いがあり、日程調整のうえ、伺ってきたという次第。

 一日目は、高松から岡山、東京を経由して新幹線を乗り継ぎ、テーマ館である「農舞台」がある、ほくほく線の「まつだい」までの移動。切符を渡すと駅員さんが「四国の高松からですか。よくいらっしゃいました。」と驚きの声で歓迎してくれた。
 泊まりは、芸術祭の会場にもなっている松之山温泉の宿。この温泉の案内看板もアート作品であった。

 二日目は、今回のイベントのスポンサーから提供されたオフィシャル・カー「MINI CONVERTIBLE」(公募による楽しいデザインペインティングがしてある)に乗り込み、北川さんが自らハンドルを握り、案内をしていただいてアート作品を見て回った。日差しがきつく、暑かったが、オープンカーでの移動による芸術鑑賞なんて、いかにも洒落ているし、隣で総合ディレクターの解説を聞きながら回れるなんて、こんな贅沢はなかなかないだろう。顔や上半身に直接感じる妻有の風は、本当に心地よかった。車の中でずっとかかっていたCDは、今夏の北川さんのテーマ音楽だという「ヨハン・シュトラウス」のワルツの名曲の数々。一日中、繰り返し流されていたが、私自身も「これしかないな」と思えるほどにシチュエーションにぴったりと合っていた。












 芸術祭が展開されている妻有地域全体の面積は、全体では約760ku。高松市(375ku)の倍以上。高松市と周辺5町(三木町、土庄町、小豆島町、直島町、綾川町)で構成する「瀬戸・高松広域定住自立圏」(海を除く。約740ku)よりも広い地域である。
 そんな広大な日本の原風景とも言える里山と棚田が広がる大地に、既存の作品も含めて370点ものアート作品が展示、展開されている。
 この地域は、十日町市の中心部を除くとほとんどが山と田圃の中にぽつぽつと集落があるような中山間地帯である。冬には、多いところで3メートルもの積雪がある豪雪地帯で、いわゆる限界集落もあちらこちらに存在する。また、5年前には、中越地震で大きな被害も受けた。
 そんな、過酷とも言うべき自然に耐えながら生きてきた過疎地が、この夏には、首都圏からの若者を中心とした大勢の見物客により活気づいていた。お盆過ぎのウィークデーだというのに、それぞれの作品の駐車場にはほとんど車があり、道々を人々が挨拶を交わしながら行き交い、人気作品は、行列ができるほどの賑わいである。私が昼食を取った「うぶすなの家」は、6軒しかない集落のうちの1軒が中越地震で全壊して所有者が手放したものを陶芸をコンセプトに再生して、食堂としても利用しているものである。集落に住む近所のおばちゃんたちが手作りで運営するそんな食堂に、観光バスが2台止まり、街の人気食堂と変わらない活況を呈していた。

 私も、一日半で、30近い作品を見て回ったが、面白く、力強く、やさしく、明るく、丁寧に、ささやくように、包み込むように、インスピレーションや感動を与えてくれ、さらには生きる力ももらえるような作品が多かった。これは、癖になりそうな喜びである。
 全体像と詳細は、ホームページを見ていただくとして、私が特に印象に残ったものとして、あえて、ベスト3を挙げさせていただくと次の3つである。(と書きながら相当迷っている。3つに絞るのは本当に難しい。)

 絵本と木の実の美術館 田島征三
 
ストーム ルーム ジャネット・カーディフ& ジョージ・ビュレス・ミラー
 
Culture bound syndrome 山崎龍一

 これらの作品を見て回っている若い人たちの姿を見ていると、さながらアートの巡礼をしている旅人の趣である。そういえば、北川さんが、最初この芸術祭を考えたときに、四国88ヶ所の遍路の旅を参考にされたと言う話も伺ったことがある。「四国遍路」→「古寺巡礼」→「現代アート巡礼」と進化した、一つの行動類型として、新しいムーブメントが出来つつあるのかもしれないとまで思えた。



 それともう一点。この芸術祭が「アート」=「」を追求し、「」へのオマージュとして展開されていることはもちろんであるが、同時に、「」への崇敬の念とも言うべきものをもった祭典であることが、私には強く印象付けられた。今年は、日照不足の所為で出穂が遅れたものの、ここ数日の好天で稲が一気に背丈を伸ばし、青々と生育している稲が並ぶ棚田の日本のふるさとを感じさせる情景が、ほとんどのアート作品の背景にもなり、また、テーマやモチーフで直接、間接に影響を与えていると思われた。
 そして来年。この「」と「」へのオマージュが「」と「」と「」へのオマージュに変わって、瀬戸内国際芸術祭2010へと受け継がれていく。
 それが本当に楽しみであるし、その成功に向けての明るい道が少し見えてきたような新潟県妻有トリエンナーレ2009の視察であった。 






■■■ 第六十九回 ■■■

八島の舞いを通して瀬戸内の文化を知る

8月2日

 今日の午前中は、お誘いを受けて、玉藻公園の披雲閣大書院で開催された『八島の舞を通して瀬戸内の文化を知る』と題された上方舞の吉村ゆきぞの先生とそのグループの行事に参加しました。

 2年前の8月の活動報告にもあるように、吉村先生は、高松市出身で上方舞吉村流の第一人者。これまで、源平の合戦を題材にしたこの地元に伝わる地唄舞『八島の舞』をさらに次世代に伝え残していくために、屋島小学校の五年生に教えられるなどの活動をされています。それを今年は、お弟子さんたちと共に、表題のような行事にして、私を始め、幡前高松市教育委員長さんや、徳増経済産業局長さんらに舞の基本の基本のほんの入口辺りを教えていただけることになりました。

 披雲閣に到着するなり、浴衣と足袋姿に着替えて完全武装を命じられました。大書院に入り、まずは、部屋の中への入り方と畳の間の歩き方の基本を教えていただき、正座をして、まずは吉村先生や関係者の「八島の舞」に関するお話を伺いました。ここまでで、既に足が痺れて全く感覚がないような状態になりました。情けないことに、さあ立って舞の動作を始めましょう、といっても足が言うことを聞きません。ふらふらしながらも、痺れた足の回復法も教えてもらってどうにか起立。それから大書院中央で、舞の動作の稽古です。 







 まずは座った姿勢で手を突いて礼をするところから。雰囲気だけは何となく分かっているつもりでも、約束事は何一つ知りません。扇子のもち方、置き方から浴衣の袖の使い方、手のつき方から目線、姿勢など、身体の隅々、一挙手一投足に至るまで、気をつけなければならないことがあります。基本は単純でそれをしっかり身体に覚えこませて応用すれば出来る、と言われても、これまで全くまともにこのような礼儀作法を習ったことのない私は、悪戦苦闘でした。吉村先生も私を中心に指導をしていただいたので、厳しい叱咤にたじたじとなる場面も。

 それでも約1時間のお稽古(の真似事?)を終え、気持ちの良い汗(一部冷や汗や緊張の汗も交じっていましたが)をいっぱい流すことが出来ました。真夏の披雲閣大書院の中で浴衣姿でいるだけで、季節感を身体いっぱいに感じることができ、本当に清々しい気分になれました。
 ほんの短い間ではありましたが、自分自身が日本の伝統建築の中で体験する日本古来の礼儀作法と伝統芸能は、格別の味わいがありました。

 吉村先生が伝承されている地唄舞の「八島」と「玉取」は、まさにこの高松のご当地舞そのものです。この伝統文化がこの地から、途絶えることのないよう、しっかりと後世に伝える努力をしていきたいものです。


■■■ 第六十八回 ■■■

男木島の魂(OGIJIMA’S SOUL)

6月30日

 今日の定例記者会見で、男木島の交流施設のデザイン案、題して=男木島の魂(OGIJIMA’S SOUL)=を発表しました。
 男木島は、来年の瀬戸内国際芸術祭の会場ともなるところだけに、せっかく交流施設を整備するのであれば、施設自体がアート作品となるようなものにしようと考え、芸術祭の総合ディレクターである北川フラム氏に作家の推薦をお願いしていたところ、スペインを代表する現代アートの作家であるジャウメ・プレンサ氏を紹介いただき、プレンサ氏からこのほどそのデザイン案が示されたものです。

ジャウメ・プレンサ氏

 一目見るだけで、高い芸術性の感じられる素晴らしい作品(建物)であり、このイメージ図を忠実に再現できれば、芸術祭の目玉となるだけでなく、末永く男木島、ひいては本市観光の振興に大きく寄与する施設になるものと期待しています。

男木島の交流施設のデザイン案

 

  男木島の魂(OGIJIMA’S SOUL)のコンセプト案 (737KB)

  ジャウメ・プレンサ氏の紹介 (386KB)


■■■ 第六十七回 ■■■

「1Q84」と「シンフォニエッタ」と「オルジュヴァルの夜」

6月28日

 今、出版界で圧倒的話題となっている村上春樹の「1Q84」を読んだ。
 面白かった。他の誰も描き得ないと断言できる独特の村上ワールドが全開である。

 現実の世界と月の二つある世界、「1984年」と「1Q84年」がパラレルワールドとして交錯しながら、その中で10歳で離れ離れとなりながら、今もって思いを寄せている共に30歳となる「青豆」という女と「天吾」という男がそれぞれの人生を懸命に、でも拘泥することなくクールに生きている。そして、私より5つ年上であるこの二人が、「ふかえり」という少女が紡ぎだす「リトル・ピープル」や「空気さなぎ」という得たいの知れない物語に巻き込まれ、包み込まれていく。ついでに「猫のまち」も出てくる。

 青豆の章と天吾の章が交替で展開されるのは、僕(カラスと呼ばれる少年)とナカタさんの章が交替で展開される「海辺のカフカ」と同じ手法。同級生の恋愛という意味では、「ノルウェイの森」と共通するところがある。だからといって一括りにするのはあまりに乱暴な例えではあるが、「1Q84」は、「ノルウェイの森」や「海辺のカフカ」などのこれまでの村上作品の集大成として一つの到達点に至った作品、と評価しても良いのではないか。それくらい完成度が高いし、これまでの作品に比べても読みやすく分かりやすい。



 音楽が作品のベース音として鳴り響くのも村上作品の特徴で、今回も同様にクラシック、ジャズ、ロックのアーティストとレコード音楽が次々に登場する。
 その中でも、何と言っても今回のメインは、ヤナーチェクの管弦楽曲「シンフォニエッタ」である。「海辺のカフカ」を読み終わった後もすぐにベートーベンのピアノ三重奏曲「大公」(スーク・トリオ)のCDを買う羽目になったが、今回もBOOK2を読み終わってすぐに、CDショップに行って、青豆が聞いていたジョージ・セル指揮、クリーブランド管弦楽団の「シンフォニエッタ」(因みに天吾の方は、小澤征治指揮、シカゴ交響楽団の「シンフォニエッタ」を聞いていた。)の入ったCDを買って、何回も何回も繰り返して聞いている。

 この曲の出だし部分のファンファーレとティンパニの音は、一度聞くと癖になりそうな不思議な音楽である。古典的でもなく、現代風ともいえない。祝意に満ちた確かなものではあるが、どことなくもろく、つたなさも感じさせる音楽は、まさにこの小説のテーマ曲として相応しいものであると言えよう。
 「1Q84」については、既に多くの優れた書評が出ている。ジョージ・オーウェルの近未来小説「1984」へのオマージュとして書かれた「近過去小説」である、とか、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」などの諸作品を意識して、村上春樹が初めて完全な三人称で書いた傑作だとか、いろいろと深く考えさせられ、それだけで読ませる書評も多く、文壇での評価も高いようである。ある解説では、「「1Q84」の「1」がアルファベットの大文字「I」につながり、「Q」は名前。つまり『私はQ』。IQ84の意味だ」と説明し、「魯迅作品との深いつながりを感じさせる」としているものもあった。

 物語が、4月から9月の半年分しか書かれていないし、謎解きや種明かしがされていない伏線や仕込みもまだまだ残されているため、この小説は「未完成」で、BOOK3以降の続編が期待される、という声も多い。とにかく話題が尽きないようである。

 最後に。
 この「1Q84」の世界を絵にするなら、何と言ってもマルク・シャガールの「オルジュヴァルの夜」であろう。月が一つしか描かれていないのが残念ではあるが、この本の挿絵が描かれるとすれば、この絵がぴったりではないだろうか。花束の中で愛の夜を祝福してヴァイオリンを奏でている羊が猫であれば、言うことなしである。



■■■ 第六十六回 ■■■

第51回墨華書道展−梵と木簡

6月24日

 掲載するのが、相当遅れてしまいましたが、6月の10日から14日まで高松市美術館で開催されていた第51回墨華書道展を観てきました。



 昨年、記念すべき50周年記念を迎えられた墨華書道会では、小森秀雲先生が会長から退かれ、東原吐雲先生が新会長となられました。その新体制の下での新しいスタートとなる展覧会です。
 今年も、会場の外の壁一面に小学生から高校生の半紙作品の入選作が所狭しと張り出され、また、会場の中では、会員が「前衛書」、「臨書」、「創作書」を毎年順番に発表していく独自の3部制のシステムにより出展された力作が並んでいました。
 昨年もそのレベルの高さに驚かされましたが、今年もまた、数多くの作品を前に感嘆しきりでした。

 写真は、小森先生と東原先生と一緒にお二方の作品をバックに記念撮影したものです。

 (書の作品の全体が写っていないのが残念ですが、)真ん中に写っているのが小森秀雲先生の「前衛書」の作品で「」です。見ただけでは(そんなに)前衛には見えませんが、お伺いすると、今回は、「何が前衛か」ということを考え、「墨でないもので字を書くことに前衛を求めた」とのことでした。何で書いたかは、教えてもらえませんでしたが、おいくつになっても(80才を超えられていても)常に想像を超える新しいものに挑戦されようとする、その瑞々しいまでの前衛的精神に感服しました。
 左側の東原吐雲会長の書は中国の古代の木簡の臨書作品です。これも素朴さの中に迫力があり、味わい深いものです。

 書をやればやるほど、習えば習うほど思うことですが、本当に奥が深いものです。そして、面白いものです。
 なかなか時間が取れないのが悩み(言い訳?)ではありますが、精進をしたいと思います。


■■■ 第六十五回 ■■■

まずは無事帰国をご報告

5月24日

 活動報告でも記しましたが、5月16日(土)から22日(金)まで、高松市と姉妹都市であるアメリカのフロリダ州セント・ピーターズバーグ市と旧牟礼町と姉妹都市であったジョージア州エルバートン市を訪問してきました。

 折からの新型インフルエンザ騒動の渦中だったため、「お気をつけて行って来て下さい。」と多くの皆様から、ご心配をいただきました。幸いにして、フロリダ州もジョージア州もインフルエンザの流行はそれほどでもなく、ニュースや市民の話題にもほとんどなっていませんでしたし、国民性の違いもあり、現地ではマスクをかけた人は全く見かけませんでした。そして、結果、機内検疫もスムーズに過ごし、私自身、帰国後も今日までそれらしき症状も出ず、どうやら(アメリカの)新型インフルエンザ感染は免れたようです。もちろん、既に国内発生と地域的流行の兆しが出ていますので、引き続きの用心は必要です。

 出張自体は、セント・ピーターズバーグ市のリック・ベーカー市長とエルバートン市のラリー・ゲスト市長の至れり尽くせりのお計らいもあり、短い時間に濃密な内容の日程をこなすことができ、非常に充実したものとなりました。







 セント・ピーターズバーグ市ではレイズの本拠地トロピカーナ・フィールドに行き、岩村選手にお会いして交流事業への支援について直接御礼を言うことができましたし、障害者の芸術活動を支援する国際的催しであるアートリンクと日本の世界遺産写真展のそれぞれのレセプションでご挨拶でき関係者と交流することができました。また、長年にわたり卒業生を英語教師として派遣してくれているエッカード大学を訪問するとともにセント・ピーターズバーグ市の主要観光施設であるダリ美術館やピア、メキシコ湾岸のリゾートホテル地域なども視察してきました。更に、お隣のタンパ市の復活した路面電車と旧キューバ人の居住区を復元し観光客でにぎわっているイ・ボール街とウォーターフロント再開発の様子も調査することができました。

 エルバートン市では、全米一の花崗岩の産出を誇る石切り場と加工場を見学するとともに、市役所、商工会議所、小学校を訪問。特に、小学校では幼稚園から6年生までの全校生徒が集まってくれ、幼稚園児の歌と遊戯を見学し、こちらからもご挨拶をして楽しい交流の時間を過ごすことができました。

 より詳細な内容のご報告は、おいおい、然るべき機会にさせていただきますが、まずは、主だった場面の写真とともに、無事帰国したことをご報告させていただきます。


 













■■■ 第六十四回 ■■■

まちうた第3弾は、JAZZ of T−Cityだ

5月12日

 活動報告でも記しましたが、まちうたの第3弾「JAZZ of T−City」が完成し、本日、アーツカウンシル高松の島田理事長と演奏したSWJO(スウィンギン・ワンダーランド・ジャズ・オーケストラ)のリーダーの関元さんと事務局長の久米さんの3人が、出来立てほやほやのCDを持って、市役所に来てくれました。


 「まちうた」のCDと私の出会いは、市長就任前に、第一弾(ポピュラー)のCDをある人にいただいて、何気なくきいてみたところ、予想を裏切る水準の高さに驚き、思わず、ブログ(今は更新をお休み中です。)に「うきうきです」と書き込んでしまったところから始まります。そして昨年の第2弾(ロック)では、地元にこんなに元気が良く、優れたオリジナル曲が書ける若手ロックミュージシャンがいたのかと、驚くと同時に、これまたうきうきとした気分になり、励まされたところです。

 そして、今回の第3弾(ジャズ)。コンセプトは、「大人のまちうた」。久米さんがデザインを担当されたというジャケットの写真を見ただけで、クールだけどムーディーな大人のムードがぷんぷんと漂ってきます。
 期待が高まる中、早速その場で、関元さんお勧めの3曲を試聴。
 まずはオープニングナンバーの「Our Town」。歌いだしから、「瓦町の駅で下りて うーん 背伸びする 常盤街で映画を見て Coffee Time 丸亀町を北に向かい 三越の屋上であなたの家を探す・・」と来る。まさにオープニングに相応しい「ワンスアポンナタイムT−City」のうた。
 2曲目は、トラック11。高松市制111周年(トリプルワン)記念イベントの音楽劇のアンコールで歌われた「見上げてごらん夜の☆を」。当時と同様に栗林小学校の児童の合唱も交えてあり、見てもないのにその場面を想像して、思わず涙が出そうになるような盛り上がりがある曲。
 そして、3曲目は、トラック12。あの世界の穐吉敏子さんが広島原爆投下慰霊に世界平和の願いを込め作曲した「Hope」。2006年にSWJOがニューヨークのリンカーンセンターでアマチュアで初めてとなる公演を行った際に穐吉さんと世界に発信した曲。

 この3曲を関元さんの解説とともに少し聴いただけでもだけでも、十分満ち足りた良い気分になりました。

 そして、当然のこと、夜帰って早速自分の部屋でCDを通して聴いてみましたが、全ての曲にしっかりと主張があり、きらきら輝いていて、その完成度の高さに完全に脱帽しています。録音も素晴らしく、2000円のジャズのCDとして十分市販に耐えうるのではないでしょうか。
 「いよいよメジャーデビューですね。」と関元さんに話しましたが、冗談にならなくなりました。

 30日には、サンポートのアリス・イン・タカマツでお披露目のパーティーも開かれます。また、CDも売り出されますので、是非一度「大人のまちうた、JAZZ of T−City」を聴いてみてください。


■■■ 第六十三回 ■■■

カマタマーレ讃岐圧勝−期待は膨らむばかり

5月10日

 日程調整がかなわず、今季はまだ観戦できていなかったカマタマーレ讃岐の四国リーグホーム公式戦に行ってきました。


 羽中田監督が残り、複数のJリーグ経験者を中心に新戦力も期待以上にレベルの高い選手が集まった今季のカマタマーレ。どんな試合運びをするのか、期待で胸をわくわくさせながら、会場の県立丸亀競技場に向かいました。

 結果は、9対0(前半3対0、後半6対0)の相手を完膚なきまでに叩きのめしたともいえる圧勝でした。
 所要で、20分ほど遅れて会場に入ったのですが、その時点で0対0であっても、ボール支配率は圧倒的に勝っていましたし、何よりも、(昨年までと違って)パスの精度が格段に良くなっていて、ロングパスによるサイドチェンジも的確で、これは大勝間違いなしとすぐに確信がもてるような試合内容でした。
 前後半を通じて、気を抜いたような場面もほとんど無く、スピーディーで小気味の良い「超攻撃型」サッカーを見せてもらいました。守備も全く危うさを感じさせずに相手を零点に押さえ、地元新聞の評にもありましたが、「チームとして結果、内容ともに満足できる試合」だったと思います。

 今日の試合を見る限りでは、今季の(絶対)目標である、四国リーグ優勝、JFL昇格もかなりの確率で実現可能であるとの手応えを得ました。
 しかし、スポーツは、特にサッカーというスポーツは、何があるかわかりません。終わってから、「これがサッカーだ」と嘆くことの無いように、気を引き締めて、これからも頑張ってほしいと思います。

 少なくとも、今後に向けて、大きく期待の膨らんだカマタマーレ今季初観戦でした。

 会場で、ちょうど見に来ていた、高松出身の宝ジェンヌ「宝塚歌劇団 花組 羽立光来(はりゅうみつき)」さんにご紹介をいただき、一緒に写真を撮らせてもらいました。羽立光来さんにも(カマタマーレ讃岐と同様)、これからスター目指して街道をまっしぐらに駆け上って行って頂きたいと思います。


■■■ 第六十二回 ■■■

「クリエイティブ都市論」(リチャード・フロリダ著)

5月9日

 高松市が香川県と香川大学と共同で設置していた高松市の将来像を考える「広域拠点のあり方検討委員会」の成果として、「クリエイティブ・コア構想」というものがあり、それに関していろいろ調べようとインターネットを検索していたら、この本の題名にあたり、面白そうなので購入して連休中に読んでみた。著者は、トロント在住の都市経済学者で、クリエイティブ・クラスが今後の経済発展の主要な担い手となることを提起し、「クリエイティブ資本論」が世界的ベストセラーとなった(と本の帯には書いているが、私はまだ読んでいない)リチャード・フロリダである。副題には「創造性は居心地の良い場所を求める」とあり、本市のまちづくりにも役立つことがあるはず、との実利的な動機であった。

 そこかしこに頷かせる箇所があり、全体を通して面白く読み終えたが、都市論としては、捉える範囲が日本で言えば、「広域東京圏」とか「大阪=名古屋圏」とか大括りであり、直接市政運営に生かせそうな提言めいたものは少なかった。ただ、論を展開する前提として、人生の選択として、「何を」行うか(職業)、「誰と」行うか(結婚)、と同様に「どこで」行うか(居住地)も同等以上に重要であるとの指摘は、当たり前のようでいて、新鮮な感じがした。そして、居住地の選択の元となる人々の欲求について、マズローの欲求段階説を引き合いに出し、5段階の最も上位の欲求である「自己実現」の欲求の更に上位に「自己超越」とも名づけるべき他人を助けたいという欲求もあり、それを含めて、欲求を満たす場所としての居住地が選択されるようになるとしている。 



 (アメリカ人の)アンケートによると、コミュニティの特質として、「治安と経済的安定」、「基本的サービス」、「リーダーシップ」、「開放性」、「美的感覚」はいずれも重要な役割を果たしているが、中でも「美的感覚」と「基本的サービス」が上位を占め、「開放性」がそれに次いでいるとの結果は、やや意外であったが、それを基に人々の欲求を満たす場所としての都市のあり方として、@「都市も見た目が決め手」、A「人に出会える場所」であること、B「文化に出会える場所」であること、C「基本サービスは重要」、D「開放的な場所」であること、E「安心感のある場所」であること、F「リーダーの資質」(定義、評価は難しいとしている)、という各論点を挙げているところは、私が日頃考えているものに近いものがあった。 更に、居住地に満足する3つのカギとして@「教養と活力」に満ち、A「美的感覚と住み心地」に優れ、B「公平性」が確保されていることを導き出していて、この辺は、高松市の未来像を探る上でも大いに参考になったところである。


 私は、先日の地元新聞の「わが町の未来図」と題する特集取材で、高松市の未来像を一言で表すと、という質問に「創造性豊かな海園・田園・人間都市」と答えた。「クリエイティブ都市論」を読み終えて、その方向性の正しさに自信を得たところであり、具体的な算段をあれこれ頭の中でめぐらせている。文字通り、未来に向かっての発展可能性の高いクリエイティブな都市を作っていければ、と夢見ている。

 最後に本書の中で一番印象に残った言葉を記しておきたい。

 「寛容でない場所は決して発展しえない。」


■■■ 第六十一回 ■■■

映画「めおん」

4月6日

 帰郷して、初めてそのフェリーに乗り、可愛い船体と「めおん」という名前を見たとき、これは、どこかで何かの物語になるだろうな、というような気はしていた。でも、何となくであり、こんな形で映画になるとまでは、想像していなかった。
 関連事業が今年度の高松観光プロモーション事業に認定された映画「めおん」である。その映画「めおん」を製作する(株)BOBOSの赤澤社長と応援団の設立準備会事務局の中条さんらが今日、市役所を訪ねてくれて、映画への協力の打診をいただいた。もちろん、喜んで支援、協力させていただく。

 「めおん」は、高松港と女木島、男木島を結ぶフェリーの名前である。それを運営する船会社は雌雄島海運という。
 女木島・男木島→女と男→雌雄→めおん、である。それが映画の題名の由来。



 当然、舞台は瀬戸内海に浮かぶ女木島と男木島。そこで繰り広げられる女と男の3つの物語をオムニバス形式で繋いで一つの映画にすると言う。3つの物語を繋ぐのも(高松、女木、男木を繋いでいる)「めおん」である。
 今秋の2009年さぬき映画祭の招待作品として上映予定で、来年1月以降、全国に広げていく予定とのこと。丁度、来年7月からは、女木島・男木島を含む瀬戸内海の島々を舞台に「瀬戸内国際芸術祭」が開催される。島を見直し、海の復権を図るという芸術祭の開催趣旨にぴったりの映画である。プレイベント的な盛り上げにも、一役も二役もかってくれそうだ。

 本格的な製作は、これからということだが、今から完成が楽しみで、期待で大きく胸躍らせている。


■■■ 高松散歩バックナンバー ■■■