第5回高松讃紫会交流戦 中西太氏追悼試合、怪童中西太さんお別れの会

 11月3日に開催された「第5回高松讃紫会交流戦 中西 太 氏 追悼試合」及び「怪童 中西 太さん お別れの会」に出席しました。
「高松讃紫会交流戦」は、高松高校、高松商業高校及び高松第一高校の野球部OBの交流試合で、今回は、今年5月に亡くなられた、中西太さんの追悼試合として開催されました。
 献花、挨拶のあと、私は池田知事と共に始球式を行いました。山なりのボールながらストライク。一安心。
 中西太さんは、本塁打を量産した、高松第一高等学校時代には、「怪童」と呼ばれ、夏の甲子園では、2回、ベスト4進出を果たすなど大活躍されました。その後、プロ入りし、入団1年目に新人王を獲得したほか、本塁打王5回、打点王3回、首位打者2回を記録するなど、同じ香川県出身の三原 脩 監督の下、豪打と俊足で、西鉄の黄金期を支えられました。その後、幾つもの球団で監督やコーチを歴任され、リーグ優勝されたほか、多くの名選手を育てあげられ、座右の銘である、何事も苦しい時が自分の礎を作るという「何苦楚(なにくそ)」の精神は、多くの選手に受け継がれています。
 本市では、中西太さんの御活躍と御功績に対し、平成12年に市民栄誉賞の第1号として顕彰しました。また、ユニフォームやトロフィーなど、野球資料の寄贈を受け、こども未来館に、「怪童 中西太記念コーナー」を平成20年に開設いたしました。引き続き、これまでの偉大な御功績を末永く称えてまいります。

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