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 さて、「高松散歩」のコーナーを作ったはいいけど、どんなことを書こうか??・・・  と、思い悩みながら、決めました。

 ★ このコーナーでは、私の好きなこと、街で見つけたこと、趣味の音楽、スポーツあたりを中心にごった煮でしかも文体等にもこだわらずに徒然日記風に記していきます。
 独断と偏見で勝手な言い分も出てこようかと思いますが、そこはご容赦を。

■■■ 第二十回 ■■■

北浜アリーとエイティエイツとあんもち雑煮 

1月6日

 正月の最初の日曜日は、各地で行事が盛りだくさん。

 午前中に高松市消防出初式を執り行った後、お招きをいただいていた、北浜アリー(港近くの倉庫群を外観は残したまま、リニューアル整備し、雑貨店やギャラリー、ブティック、レストラン等が入居する若者に人気の複合商業施設)の新春餅つき大会に行ってきた。
 ちょうど、今年女子バレーのチャレンジリーグに昇格した米田監督率いる四国エイティエイツ・クイーンのメンバーが来ていて、一緒に餅つき。

 高松名物のあん餅雑煮もいただき、正月らしい晴れやかな気分になることができた。

(写真は、餅つきの様子と北浜アリーを設計した井上秀美さんと米田一典監督と一緒にぜんざいをご馳走になりながら写したもの。) 



■■■ 第十九回 ■■■

あんさんぶっかけ・さぬき座ニューイヤーコンサート2008

1月7日

 極上のぶっかけさぬきうどんでもこんなに旨い(上手い)のはないだろうと思います。


  高松市の観光大使もお願いしている小松玲子さんら、国内外で活躍する讃岐出身の若手演奏家7名によるアンサンブルグループ「あんさんぶっかけ・さぬき座」のコンサートに行ってきました。

 今回のテーマは世界の「踊り」。
 始まりのラヴェルの「ボレロ」から最後の「ウエスト・サイド・ストーリー」まで、本当にいろいろな風景や気候、それに喜怒哀楽の感情を魅せて聴かせていただきました。
 思わず手をたたき、足を踏み鳴らす場面も何度か。アンサンブルの楽しさが凝縮された2時間でした。
 讃岐うどんに例えれば(少し無理はありますが)、極上の材料を使った、おろしにわかめ、各種天ぷらがのったゴージャスなぶっかけうどんにおでん各種がついた究極のぶっかけうどん定食といったところでしょうか。

 それにしても、サヌカイトの石琴とピアノのデュオで奏でられた「亡き王女のためのパヴァーヌ」の美しかったこと。
 音楽を聴きながらあれだけうっとりとできたのも久しぶりでした。
 まずは、興奮気味に帰宅直後の感想を記しておきます。


■■■ 第十八回 ■■■

あの「ホトトギス」に次ぐ快挙ー俳誌「紫苑」千号達成

1月7日

 年の替わらぬ内に書いておこうと思ったのですが、多忙を理由に自分を慰めているうちに新年になってしまいました。


 昨年暮れ、12月23日に香川県の俳句雑誌「紫苑」の千号記念祝賀会にお招きを受け行って来ました。一口に千号と言っても月刊ですから83年4ヶ月の歳月を経ての偉業達成です。
 大正12年11月に創刊したこの俳誌の表紙の題字は「高浜虚子」の筆によるもの。生意気にも言わせていただくと虚子は、私の一番好きな俳人です。そうやって見るからでしょうが、何とも言えず味わいのある字です。
 記念祝賀会には、その虚子のお孫さんで雑誌「ホトトギス」主宰、俳人の稲畑汀子先生とそのご子息の稲畑廣太郎先生が来賓としておいでになっていました。さすがに「ホトトギス」は昭和55年に千号を迎えていて、とてもそれには適わないものの伝統俳句の雑誌では、それに次ぐ快挙だということでした。そして、芭蕉、正岡子規からの伝統、高浜虚子が提唱した「花鳥諷詠」の精神がこの「紫苑」には十分受け継がれているとのことでした。 

 「する」とまではとてもおこがましくて言えないものの、最近、俳句に何となく興味を持っていて土曜日にNHK・BS2でやっている「俳句王国」を見たり、日記を書いたりするときに歳時記をぺらぺらとめくったりして鑑賞して俳句を楽しんでいる私にとって、何よりも地元高松に、全国でも有数の、これだけ立派に続いている俳句雑誌が存在していたこと自体が、ふるさとの大きな魅力をまた一つ見つけたような気がして、嬉しい驚きとともに感動ものでした。



 それともう一つのエピソード。
 前日は記念行事として琴平の松尾寺で廣太郎先生の「山気とは朝桜よりはじまりぬ」の句碑の除幕式が執り行われたのですが、生憎の大雨。お聞きすると廣太郎先生は典型的「雨男」とのこと。対して遅れてこられて23日の晴天をもたらした汀子先生は「晴れ女」だそうです。
 でもこちらとしては、秋から冬にかけて、また雨がほとんど降らず、渇水を心配していたところであり、22日の雨は本当に恵みの雨でした。私の挨拶の中で、私がどちらかというと晴れ男なので、あまり水不足に悩まなくていいよう、是非廣太郎先生にはこれからも何度も高松へお越しいただきたい、とお願いしておきました。そして、雨ばかりでも困るので、汀子先生も是非ご一緒にお二人でいらっしゃってください、と。

 併せて好きな句として、ちょうどこの時期になると思い出す、高浜虚子の次の句についてもお話させていただきました。


   年は唯 黙々として 行くのみぞ
   去年今年 貫く棒の如きもの


■■■ 第十七回 ■■■

ミーちゃんに導かれて

12月9日

 9月から始めた高松早朝散歩。寒くなってきて、布団から出るのが相当億劫にはなってきたが、どうにか今も続けている。


 でも、冬至に向かって、日の出がどんどん遅くなり、今では7時過ぎ。私が歩いている6時前後は、真っ暗である。景気の低迷期によく言われていたまさに「夜明け前が一番暗い」中を散歩している。

 そんな中、月明かりとともに私を励まし、導いてくれているのが、夜明け前の東南の夜空にしっかりと輝いている明けの明星、金星である。(写真は先月(11月)24日頃の西の空に沈む満月と東南の空の明星)

 明星といえば、平凡、それからミーちゃんハーちゃん、ミーハーと連想がつながっていくのは、今や45歳以上のおじさん、おばさんに限られるのだろうか。




 この明星を口の中に入れた人物がいる。空海(弘法大師)である。大岡信が「空海の風景」(司馬遼太郎)の解説で「おそろしく抽象的で妖艶で脂ぎっていて虚空そのものであるような存在、零の無限大そのものであるような存在」と評している空海は、19歳の頃室戸岬での修行中、天空に輝いていた明星(金星)が口の中に飛び込んできたという。確かに夜明け前の暗い空から燦然とした明かりを放っている(といっても太陽の反射光ではあるのだが)この星をじっと見ていると、神秘的な力を秘めているように感じないでもない。

 いつもの散歩の帰り道は、南に向かう。ちょうど空を見上げると、この明星が前方左上に輝いている。毎朝、太陽と月を除くと一番明るい天体であるこの明星に導かれるように、一日の始まりの心身の準備を整えながら、自宅へと歩を進めている


■■■ 第十六回 ■■■

旧自治省入省25周年記念同期会@熱海温泉

11月29日

 去る23日(金)と24日(土)、大学を出て、昭和57年4月に旧自治省に入省して25周年を記念する同期会が、熱海の和風旅館で開かれ、参加してきました。
 同期16人全員が集合し、元気な顔を見せ合いました。採用担当だった先輩のお二方も参加してくれました。
 少し、早めについて、温泉に入り、宴会の前からビールを飲み始めていた所為もあって、本番の宴会では、始まった途端に周りの声がほとんど聞こえないほどの大盛況となり、テンションが上がりっぱなしの楽しい一夜を過ごしました。
 旅館も温泉風呂も宴会もカラオケもマッサージも朝食の干物もいずれも満足のいく楽しい旅でした。

 我が同期16人は、全員が結婚し、これまでどうにか一組も別れることなく、皆が子宝を授かっています。
 そして、16人中私も含めて4人が既に退職し、内3人が政治家に、1人が弁護士になっています。政治家では、私のほかに、現在2期目に入っている佐賀県の古川康知事とこの夏の参議院議員選挙で大分県選挙区から初当選した礒崎陽輔議員がいます。弁護士は、菊地伸君で、今やM&A、企業分割の世界では日本で最も著名な渉外弁護士の一人として活動中です。また、公務員を続けている12人も総務省、内閣府、宮内庁などで課長職等としてそれぞれ活躍しています。

 私がこれまでの人生で関わってきたいろいろな人達、グループの付き合いがありますが、この同期会のメンバーほど仲がよく、心の底から信頼できる仲間はなかなかいないように思います。

 次に皆と会うのは30周年記念の同期会になるのでしょうか。また全員元気で顔を合わせられることを祈り、楽しみにしています。


■■■ 第十五回 ■■■

ドビュッシーな午後

11月11日


 午前中、市場フェスタと作文コンクールの表彰式に出席した後、午後は、発売当初に券を購入して日程と席を押え、この日を楽しみにしていたクラシックのコンサートに県民ホールへ行ってきた。準・メルクル指揮のフランス国立リヨン管弦楽団で、プログラムは、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」から始まり、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」を挟んで、再びドビュッシーの「『夜想曲』から『雲』・『祭』」、「『海』−管弦楽のための3つの交響的素描」という構成である。


 メンデルスゾーンの協奏曲のソリスト(ヴァイオリン)は、フランス在住で2002年のロン・ティボー国際コンクールに史上最年少16歳で優勝したことで注目されている山田晃子という若き天才であった。

 会場は七分程度の入りであったが、リヨン管弦楽団が、準・メルケルが、ドビュッシーが好きでやってきたという感じの人が多く、落ち着いた良い雰囲気である。山田晃子を聴きたかったという人も当然いただろう。

 「牧神の午後への前奏曲」の最初のフルートが静かに、でも確かに響き渡った時に、今日のコンサートの成功が約束されたような気もする。それだけ、心をときめかしながらも逸る脳波を安定させるような音だった。音楽を愛でる雰囲気に満ちた会場も神を待つ準備ができていて、静まり返ってその音を拾っていた。

 そして、あまりにも有名なメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの山田晃子さん。この若き俊英の最初の音も私には微細に過ぎるように聴こえた。でも音を紡いでいくにしたがって、その音色の艶やかさ、鮮やかさに気づかされて、最後のほうは、目くるめく色彩美にうっとりとしてしまった。メンデルスゾーンを聴きながらドビュッシーの風と景色を感じていた。

 それにしても、ドビュッシーの名だたる名曲をまとめて、それも母国フランスを代表する名門の管弦楽団の手により、高松で聴けたことは奇跡に近い幸運だった。今回のツァーは、三大都市圏以外では、大分と福島と高松だけ。しかもこの組み合わせのプログラムは高松だけである。
 さらに指揮は、今世界的に売り出し中の日本人を母に持つ準・メルクル。この人のマーラーをCDで聞いたときはいまいちに思えたが、リヨンと奏でるドビュッシーとメンデルスゾーンは彼に非常に合っている様に思えた。溌剌とした指揮姿にも非常に好感が持てた。1959年生まれの同い年だと気づいて更に親近感も湧いてきた。

 ドビュッシー本領発揮の交響詩「海」が県民ホールに響き渡り、アンコールの小品を聞いた後、何故か若干火照った頬で外に出ると、夕暮れ時に風が強く吹き荒れていて、瀬戸が波立っていた。まるで、「海」の3楽章「風と海の対話」の音楽が外でも流れていたかのような情景だった。

 「ドビュッシーが好むことは、ドビュッシーを好むことよりずっと速く吹き渡ってしまうのだ。」(「遊学U 松岡正剛」中公文庫 70頁)」


■■■ 第十四回 ■■■

宋家美人三姉妹と廬山の三石

10月28日


 活動報告でも記したとおり、先週中国出張の折に、世界文化遺産にも登録されている廬山に行って来た。
 氷河が削り取ったというその岩山の奇形が圧倒的なスケールで迫る自然美もさることながら、世界遺産には文化遺産として登録されていることからも推測されるように、歴史上、陶淵明李白白居易といった文人大家が好んで訪れ、居住し、詩に歌ったりした文化の薫り高い土地でもある。

 近代以降は、別荘地として政府の要人や外国人が滞在するようになり、特に国民党政府時代は蒋介石が夏の間をこの地で過ごした為、夏の首都とも呼ばれていたそうである。中華人民共和国政府となった後も、共産党の幹部らの別荘地として使用され、毛沢東も何度か滞在したことがあるそうだ。

 国民党政府時代の蒋介石と宋美齢婦人が過ごした別荘が「美廬別荘」と称される施設であり、現在も観光施設として保存されていて今では多くの中国人観光客が訪れる人気スポットとなっている。


 この「美廬別荘」を見学していて面白かったのは、洗面所には、洋式と中国式(和式)の便器が2つ並んでいるのだが、これは、元々洋式だけだったのを、毛沢東が農村出身のため洋式では用を足せないということで、中国式のをわざわざ並べて作らせたのだ、という話である。日本人向けの解説だったのかもしれないが、今の中国人が毛沢東と蒋介石をある程度客観的に見てその人物像を評していることに少し嬉しい驚きを感じた。


 ところで蒋介石婦人の宋美齢という女性は、宋家美人三姉妹の末っ子として有名である。宋家の三姉妹のうち、長女宋靄齢は大財閥の御曹司・孔祥煕と、次女宋慶齢は革命家・孫文と、そしてこの三女は若き軍司令官蒋介石と結婚。三姉妹の一人は、世界一の富豪となり、あとの二人は、それぞれ中国のファースト・レディとなったという三姉妹である。そして、一人は金を愛し、一人は国を愛し、一人は権力を愛した、と評されている。とにかく凄い美人三姉妹がいたものである。

 もう一つ廬山のこぼれ話。
 昼食は、廬山のホテルで「廬山の三石」を主体とした使った郷土料理をいただいた。「廬山の三石」とは、ここでしか味わえないとされる珍味「石蛙」、「石魚」、「石くらげ」である。どれも美味で、廬山名物のお茶と青梗菜も併せて本当に身も心も満たされた気分となった。


 下界の排気ガスと喧騒を離れた標高千数百メートルの別天地は、中国の古き良き時代を再現しているテーマパークのようにも思えた。


■■■ 第十三回 ■■■

後藤塗こだわり箸(箸袋 保多織)
     − これは好いコラボ商品です

10月3日

 ここは、こだわりの品の宣伝販売サイトではありません。

 が、「AKARI」に引き続いてこだわりの逸品の紹介です。但し、こちらは今年から販売の新商品となります。

 先日参加した「まちかど漫遊帖」でお世話になった宗家後藤盆の5代目後藤孝子さんが、乾いて出来上がった私の作品を持って市役所を訪ねてきていただきました。
 その時、一緒にお持ちいただいたのが、5代目が発案し、今年から売り出し中という「後藤塗 こだわり箸(箸袋保多織)」(写真)です。


 黒柿材で作った箸に漆の後藤塗を施し、マイ箸として持ち運びできるように、保多織の布袋で包み込んだものです。
 後藤塗の箸の高級感と保多織の清潔感あふれる和風の質感が合間って、一目見て気に入りました。
 「まちかど漫遊帖」の雰囲気にもぴったり合っていますし、しかも、どこにでも持っていけるマイ箸ということで、割り箸の大量生産、大量消費による環境破壊の歯止めとして環境保護にも繋がります。

 高松の中心市街地に斜め向かい合って店を構える宗家後藤盆岩部保多織本舗という老舗同士が、創業から110年以上経て初めて共同で製作したコラボ商品となります。
 それだけでも話題性は十分ですが、商品そのものとしても時代にマッチし、非常に良くできたものだと思います。

 せっかくいただきましたので、これからはできるだけ、このマイ箸を入れた保多織の袋を内側の胸ポケットに潜ませて、出かけることとしたいと思います。そして、昼食時におもむろに・・・と行きましょうか。

 気になるお値段ですが?
 済みません。聞くのを忘れていました。お店でお確かめください。


■■■ 第十二回 ■■■

イサムノグチと岐阜提灯

9月30日

話の時系列が後先となることをお許しを。

 先日、岐阜を訪れた際に、岐阜市長からお土産でイサムノグチデザインの照明器具「AKARI」をいただいた。

 イサムノグチの「AKARI]は、庭園美術館のある香川県高松市牟礼のものでしょう、と少し違和感があったが、記憶をたどるとハタと思い当たった。
 そうだ、イサムノグチは牟礼に来るずっと前に岐阜で提灯の技法について勉強をして、デザインをしていたんだ


 よく見てみるとこの「AKARI」シリーズ、元々の製作は、岐阜提灯のトップメーカー「OZEKI」の製品である。

 こんなところでも高松市と岐阜市が繋がっていた。

 この「AKARI」、私の大好きな照明器具で、既に自宅マンションには3種類の灯りが燈っている(写真)。
 お土産でもらった「AKARI」は、高松と岐阜の結びつきの証として、市長室に飾っておくこととしたい。



■■■ 第十一回 ■■■

ご英断に感謝

9月30日

 と大きく書いて礼状をしたためたいと思っている。
 MLBのタンパベイ・デビルレイズ岩村明憲選手が高松市の姉妹都市であるセントピーターズバーグ市が財政難から打ち切りを検討していた高校生派遣事業に資金援助を申し出てくれて、この事業が来年度以降も継続されることとなったのである。
 残念ながら映像は見ていないが、現地でも記者発表に併せて、ヤンキーズ戦の途中、バックスクリーンに高松市に来ていた高校生と一緒に岩村選手が映し出されて大きく紹介されたそうである。


 高松市とセントピーターズバーグ市との姉妹都市のお付き合いは、1961年から始まったものでかれこれ50年近くになる。この高校生の派遣(受入れ)事業も84年から始まり20年以上の続いているもの。但し、高松市は受入れだけで、こちらからの学生の派遣は行っていない。

 今回は、セントピーターズバーグ市の財政事情から起こった問題であったが、これを機会に交流事業のあり方も見直し、双方にとってよりメリットのある、より時代にあった相互交流の充実が図られるように考えていきたい。

 それと、岩村明憲選手がこの支援を引き受けてくれた背景には、氏がお隣の愛媛県宇和島市出身であったこともあるとのこと。地元の四国に役立つことなので、と言って快諾していただいたとのこと。これもまた有難い限り。

 更には、岩村選手が師と仰いで尊敬し、今でも随時アドバイスをもらっているのが、中西太氏。セントピーターズバーグ市からの留学生の受け入れ先が中西太氏の母校高松一高だと聞いて「それは知らなかった。そこまで偶然が重なるとは」と驚いていたとのこと。
 そういえば、私がお会いした時も、中西太氏自身も「イチローや岩村は、何かあると連絡を寄越すんだよ。」と嬉しそうに話されていた。
 その中西太氏の記念のトロフィーやユニフォームを高松市に寄贈いただき、今年度中に「中西太メモリアルコーナー(仮称)」を文化センター内に作る予定にしていて、その寄贈式典を10月6日(土)にやることを記者発表した矢先に飛び込んできた嬉しいニュースだった。
 良いことは重なってやってくるものである。

 メモリアルコーナーに設えるパネルを計画より増やさなければならないかも知れない。


■■■ 高松散歩バックナンバー ■■■