高松市とセントピーターズバーグ市との姉妹都市のお付き合いは、1961年から始まったものでかれこれ50年近くになる。この高校生の派遣(受入れ)事業も84年から始まり20年以上の続いているもの。但し、高松市は受入れだけで、こちらからの学生の派遣は行っていない。
今回は、セントピーターズバーグ市の財政事情から起こった問題であったが、これを機会に交流事業のあり方も見直し、双方にとってよりメリットのある、より時代にあった相互交流の充実が図られるように考えていきたい。
それと、岩村明憲選手がこの支援を引き受けてくれた背景には、氏がお隣の愛媛県宇和島市出身であったこともあるとのこと。地元の四国に役立つことなので、と言って快諾していただいたとのこと。これもまた有難い限り。
更には、岩村選手が師と仰いで尊敬し、今でも随時アドバイスをもらっているのが、中西太氏。セントピーターズバーグ市からの留学生の受け入れ先が中西太氏の母校高松一高だと聞いて「それは知らなかった。そこまで偶然が重なるとは」と驚いていたとのこと。 そういえば、私がお会いした時も、中西太氏自身も「イチローや岩村は、何かあると連絡を寄越すんだよ。」と嬉しそうに話されていた。 その中西太氏の記念のトロフィーやユニフォームを高松市に寄贈いただき、今年度中に「中西太メモリアルコーナー(仮称)」を文化センター内に作る予定にしていて、その寄贈式典を10月6日(土)にやることを記者発表した矢先に飛び込んできた嬉しいニュースだった。 良いことは重なってやってくるものである。
メモリアルコーナーに設えるパネルを計画より増やさなければならないかも知れない。
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