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香川オリーブガイナーズ優勝報告

10月30日(火)

 本日、香川オリーブガイナーズの皆さんが、トロフィーやチャンピオンフラッグを持って、市役所に優勝報告に来てくれました。
 ガイナーズは、今年、四国アイランドリーグを前期・後期・総合優勝と完全制覇。さらには、北信越BCリーグ優勝の石川ミリオンスターズとのグランドチャンピオンシップも3勝1敗で制し、見事独立リーグ日本一に輝きました。 


 以前パーティーで「常勝軍団」を目指して欲しいとはお願いしましたが、ここまで強くなってくると、逆にリーグ全体の人気に悪影響しないかと心配になるぐらいです。
 西田監督からは、「今は、チームの戦力が一番充実している」、「NPBの2軍に比べて、我々は真剣勝負をこなしている分、実力は上」、「アイランドリーグにおけるスター選手を生み出し、もっとリーグを盛り上げていきたい」など、あくまで上昇志向の頼もしい言葉を聞くことができました。


 現在、独立リーグは、四国北信越の2リーグですが、来年度からは四国アイランドリーグに九州の2チームが新規参入することが決まっています。
 この活況は、昨年アイランドリーグからドラフトでNPBに入った選手が活躍し、NPB側から俄然注目されるようになったことが大きいようですが、地域の独立リーグは、NPBとは共存共栄という考え方の下、将来的には全国それぞれの地域でリーグの熱い戦いが見られるようになり、更に盛り上がっていくことを大いに期待したいものです。

「自転車を利用した香川の新しい都市づくりを進める協議会(仮称)」

設立総会・高松地区委員会第1回会議

10月29日(月)

 「香川の自転車利用を考える懇談会」からの提言を受け、この度、県において、「自転車を利用した香川の新しい都市(まち)づくりを進める協議会」が設立されることとなり、本日開催された設立総会に出席してきました。


 現在、香川県・高松市においては、「自転車」をキーワードとしたまちづくりが進められようとしており、先日も、環境に優しい乗り物である自転車の魅力を広く住民の皆様に再確認していただこうという市民参加型のイベントが、サンポート高松において開催されたところです。

 本日は、この協議会設立に合わせ、高松市において設置する独自の高松地区委員会の第1回会議も開催し、より地に足のついた自転車の活用について意見も出され、今後の本市における自転車を活用したまちづくりに有益なご意見もいただきました。


 環境問題への対処意識を背景に、自転車をより有効に活用したまちづくりを進めようとする動きは、特に欧州を中心として世界的に顕著になってきています。高松市でも、全世界を相手に他都市に負けないような「自転車」を活用したまちづくりができた良いなあ、と思っています。

かがわ国際フェスタ2007 多文化共生フォーラム

10月28日()

 本日、「かがわ国際フェスタ2007」の一環として、多文化共生フォーラムが開催され、参加してきました。

 本市においては、これまでも外国人の方々が住みやすく、訪れやすいまちづくりを推進してきました。

 また、何と言っても、四国の中でも本市・本県には、四国八十八箇所を巡る遠来の旅人を家族のようにもてなす「おせったい」の精神が根付いています。この讃岐人に脈々と流れる「おせったい」の心を現代に生かし、誰もが住みやすい多文化共生のまちづくりを実現していくことが、地域の国際化にもつながっていくと思います。


 本日のフォーラムでは、災害時の外国人支援について講演が行われましたが、市民皆様には、こうしたイベントに積極的に御参加いただき、国際化時代における多文化共生の社会において自らができる役割等について、頭の片隅にでも考えていただければ幸いです。

平成19年度高松市消防連合演習

10月28日()

 本日、平成19年度高松市消防連合演習が市南部運動場において執り行われ、参加された市内の消防団35分団の団員の皆さんに激励のごあいさつをしてきました。
 本市においては、今年、例年になく早い時期から渇水に見舞われたものの、幸い、これまでのところ大きな災害は発生していません。しかしながら、近年、異常気象等を背景に、災害は国内外を問わず大規模、多様化しており、本市においても、東南海・南海地震を始めとする大規模災害の発生が危惧されています。


 このような中、本市では、本年4月から消防団員の定員を増員し、防災対応力を高めるとともに、装備の近代化等、消防力の充実強化を図る一方、地域住民にも自主防災組織の結成を強く働きかけているところです。
 参加の皆さんには、今後とも地域における防災活動のリーダーとして、本市における「災害に強い安全で安心なまちづくり」に更なる御協力を賜るようお願いしてきました。

大田弘子経済財政担当大臣のご来高

10月27日(土)

 前日、中国から帰ってきたばかりでしたが、今日は、経済財政諮問会議の地方視察で大田弘子経済財政担当大臣が高松に来られ、午前中に中央商店街を視察されるというので、その案内役をしてきました。

 大田大臣とは、氏がかつて政府税調の委員で私が自治省の税務局在籍時代に、氏の下に何度も足を運び、地方税財源の充実確保策等について説明やお願いをしていたこともあり、旧知の間柄です。


 大田大臣が空港に降り立ち、控え室でお会いして名刺を差し出すなり、「えぇ、大西さん、いつの間に市長になっていたの」と驚かれてしまいました。
 その後、車内で最近の高松市を取り巻く情勢や観光案内等をしながら中心部まで異動。「私は晴れ女なの。雨が降ることは全く想定しなくていいの。」という大臣のお蔭(?)か、台風の影響で夜半から降っていた雨と雲もさっさと引き上げたようで、晴れ間さえ見えるいい天気になってきました。


 まずは、瓦町駅前で降りていただいて、空き店舗が非常に多くなっている常磐町商店街を歩きながら視察。振興組合の理事長さんからの深刻な状況の訴えに大臣も真顔で耳を傾けていました。
 その後、今や商店街再生の全国的なモデルと持て囃されている丸亀町商店街に異動。ここに至るまでの経過や独特の再開発事業の手法について興味深く説明を聞いていただきました。

 短い時間での駆け足視察でしたが、途中大臣が「ここ、良いわね」と一目見て気に入ったようだったのが「4町パティオ」。イタリア製のパラソルの下でアキホ・タタデザインの庵治石のテーブルセットに腰掛けられ、ご満悦でした。

 昼食をとって、経済財政諮問会議の地方での意見交換会をして、記者会見の後、帰京されるという本当に慌しい日程ではありましたが、大田弘子大臣に高松市(中央商店街)の今をその目で直接見ていただき、地元の代表者から説明を聞いていただいたことは、それだけで大きな意味があったと思っています。

『江西省国際友好都市交流大会』等で中国出張(江西省南昌市、上海市) 

10月22日(月)〜26日(金)

 高松市の友好都市である中国南昌市から、江西省及び省内各市と姉妹都市等友好関係を結んでいる世界各地の都市等が一堂に会する『第一回江西省国際都市友好大会』に参加を要請されたため、4泊5日の日程で岡山空港から上海市を経由して南昌市に出張してきました。

 一日目(22日)は、岡山空港から上海経由で南昌市入り。空港では、郭曙秘書長と張知明南昌市外事弁公室主任が大きな横断幕をもって熱烈歓迎してくれました。

 二日目(23日)は、会議本番。

 友好大会は、世界14カ国25都市・地域の代表団が一堂に会するという規模の大きなもので、近年の中国の目覚しい発展が、国際社会に大きく開かれた形で進められていることを実感しました。
 しかし、世界各国の代表団の多彩で多人数な顔ぶれとは裏腹に、中国側の出席者は、江西省や省都である南昌市などの政府の幹部と外事弁公室の職員のみで、当然のごとく一般市民は見当たらず、その辺りは少なくとも政治的には共産主義の国らしいお国柄を表していました。


 大会では、私の左隣が今回姉妹都市提携を正式に南昌市と結ぶというブラジルのサンパウロ州ソロカバ市(サンパウロ近郊の人口60万人程度の都市)の市長で、右隣は、韓国慶尚北道尚州市の市長。お互いに片言の英語で挨拶を交わし、自らの市の紹介をし合いました。ヨーロッパからはドイツやフィンランド、アフリカからはルワンダなどの代表団も参加していて、非常に国際色豊かな雰囲気の会議でした。


 私も、高松市の紹介と1990年以来友好都市として交流をしている南昌市との交流についてプレゼンテーションを行いました。最初の自己紹介を中国語でしたのが受けた所為もあり、聴衆のいい反応でした。

 午前、午後の大会が終わって、夜は江西省の省長に対する表敬訪問。そして歓迎レセプション。
 実は、平成元年10月から平成3年3月まで私は江西省と姉妹提携を結んでいる岐阜県の総務国際課長をしていて、その時に知り合いだった江西省外事弁公室の職員ともこの大会で久しぶりに再会することができました。人生の縁というものの不思議なめぐり合わせを感じざるを得ません。

 三日目(24日)は、世界文化遺産にも登録されている江西省の代表的な観光地廬山を案内されました。普通のウィークデーにもかかわらず、廬山は中国人を中心とした観光客で大いににぎわっていました。ここでも、中国が普通の人々が国内旅行を楽しめるように経済的にも十分豊かになっていることを実感しました。

 そして、夕刻から南昌市の胡憲市長に表敬訪問して歓迎の夕食会。


 四日目(25日)は、唐時代に南昌の迎賓館として用いられ、王勃の「滕王閣序」という詩文で有名となった「滕王閣」(現在の建物は1989年に鉄筋コンクリートで新築されたもの)を見学しました。その後、市役所の都市計画展示館で壮大な規模の今後のまちづくりの構想を映像と模型で説明を受けました。少し圧倒されて、直後に受けたテレビインタヴューでは、「素晴らしい計画だが、調和をとって開発をしていって欲しい。」と言っておきました。


 そして、市役所の向かい側のホテルで現在市議会の主任(議長)である李豆羅前南昌市長に表敬訪問し、一緒に昼食をとりながら懇談した後、上海へ向かいました。

 上海へついたのは、夕方でしたので、豫園とその周辺観光して夕食をとり早めに寝ました。

 五日目(26日)はホテルを6時45分に出発して上海浦東空港に向かい、現地時間9時半発の中国東方航空機で岡山空港に帰ってきました。

 私にとって、中国は二度目でしたが、南昌、上海は始めての旅でした。すさまじいまでの発展を遂げている中国の現状と本市の友好都市である南昌市の様子を直接この目で見て、肌で触れて感じ取れたことは意義深くありがたい機会であったと思っています。

高松秋のまつり仏生山大名行列

10月21日()

 本日開催された、「第14回高松秋のまつり・仏生山大名行列」で、主催者の一人としてあいさつするとともに、大名行列では、写真のとおり殿様に扮しました。

 地域おこし事業から始まったこの「高松秋のまつり」は、本市の秋を代表する祭りとして、回を重ねる毎に盛大になっており、昨年は、2日間で実に14万人と、過去最大の人出があったとのことです。

 今年も、全国でも珍しい一千発の「秋花火」や恒例の大名行列など、趣向を凝らした数々のイベントで会場は活気に溢れていました。私も、ひょうげ祭りの神官役に続き、大役でしたが、落馬なく、無事役割を果たせ、ほっとしています。


 仏生山は今、まちあるき型観光においても、脚光を浴びていますが、こうした伝統あるお祭りをきっかけに、それぞれの地域の魅力が再発見・認識され、それが、新市全体の活性化につながっていくこと期待しています。

 

高松ふるさと祭り(宵祭り)

10月20日(土)

 本日、「高松ふるさと祭り」の宵祭りが開催され、地域の方々によるお神輿や獅子舞が東西2コースに分かれて商店街を練り歩き、私も三町ドームで開催された開会セレモニーであいさつをしてきました。

 近年、都市化や核家族化などを背景に、地域の連帯感やふれあいが希薄化する中、このようなお祭りを伝統文化として見直し、地域や世代間の交流が図られることは、意義深いことだと思います。


 本日は、お神輿に参加する子どもたちはもちろん、多くの方々が参加され、商店街は、一段と賑わいと活気に満ちあふれていました。
 明日は本祭りが開催されますが、こうした地域主導の催しを通し、本市の未来を担う子どもたちの心の中に、ふるさとを愛し、大切にする気持ちが育まれるよう、本市としても、今後一層、各種支援等に取り組んでいきたいと思います。

「帯広・高松交流返礼ツアー」 歓迎会

10月19日(金)

 この度、砂川市長さん、上野市議会議長さんを始めとする帯広市の皆様が来高され、本日開催した歓迎会で両市の更なる交流を誓い合いました。

 帯広市とは、今年から「愛」をテーマとした交流を開始しており、去る6月には、私も、「純愛の聖地交流ツアー」と銘打って、約120名の市民と帯広市を訪問し、心温まる歓迎を受けました。
 今回は、その返礼ツアーということで、80名を超える帯広市民の皆様に、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地となった「庵治町」や、源平合戦の古戦場「屋島」などを観光していただくこととなっており、これを契機に、市民レベルの交流が更に大きく広がることを期待しています。


 今後も、10月30日から開催される「第38回帯広菊まつり」で、本市の観光PRや物産の出展をさせていただくほか、12月に開催予定の「第21回高松冬のまつり」では、帯広の物産コーナー設置を予定していますので、市民皆様も是非、帯広市に注目してください。

福祉施設等激励訪問

10月16日(火)・17日(水)

 2日間にわたり、市内の福祉施設等を訪問し、通所者の方々や、熱心に指導に取り組まれている職員の皆さんにお会いしてきました。

 どの施設も明るく、温かみに溢れており、作業や訓練に取り組まれている皆さんの表情からは、毎日の充実した生活が見て取れました。激励に訪れたはずでしたが、皆さんとふれ合う中、私のほうが自然と笑顔になり、元気をもらいました。

  また、今回の訪問を通し、障害のある方々やその家族の皆さんにとって、このように支えあいながら共同生活できる場がいかに重要かを改めて認識し、市としても、今後一層、障害のある方々が、住みなれた地域で安心して生活できるよう、諸施策の推進に積極的に取り組んでいかなければならないとの思いを強くしました。


 追伸:作業所でいただいたクッキーや竜雲うどんの美味しかったことといったらありませんでした。有難うございました。


清掃キャンペーン開始式

10月13日(土)

 10月は、全国的に環境美化推進月間です。本市でも毎年この時期に併せて、市内の清掃活動のキャンペーンを行っており、本日その開始式を市役所前の広場で執り行いました。

 今日は、ご協力いただける各種団体の代表者の方やボーイスカウト、ガールスカウトの子供達が集まってくれて、開始式を盛り上げてくれました。秋晴れの気候にも恵まれ、式の後皆が持ち場に散らばって清掃活動です。


 私もゴミ袋と火バサミを持って、歩道と車道の間辺りを中心にごみを探して拾っていきました。
 市役所周辺は、定期的にごみ拾いが行われている所為か、さほど多くのごみは落ちていません。それでも、少し歩いただけでそれなりの量が収拾できました。
 JTのキャンペーンじゃありませんが、「ひろえば街が好きになる」というのは素直な実感として分かります。
 丁度、全国都市問題会議で釘宮大分市長から14万人の清掃活動がギネス登録された晴れ晴れしい報告を聞いたばかりで「ごみ拾い」の持つ不思議な力を感じました。
 市民との協働による「美しいまちづくり」の原点は、このような活動にあるのでしょうね。

第69回全国都市問題会議

10月11日(木)〜12日(金)

 昭和2年に大阪市で「@防火と建築、A不良住宅改善、B土地区画整理、C自由空地並公園」をテーマとして第1回が開催されて今回で69回目となる全国都市問題会議に参加するため、静岡市まで出張してきました。
 静岡市は、徳川家康が隠居して大御所となり、その居所を昔今川家の元で囲われていたときに過ごした駿府の地に求めた1607年から丁度400年目を迎えるということで、大御所四百年祭が開かれていました。
 今回のテーマは、「分権時代の都市とひと−地域力・市民力−」。第二期地方分権改革が動き出そうとする年の時宜に適ったテーマであると思います。

 会議は、朝9時半の開会式から始まって、初日だけで奈良県立万葉文化館館長中西進氏の基調講演、小嶋善吉静岡市長の主報告、NHKアナウンサーの堀尾正明氏によるご近所づきあいの勧め、釘宮磐大分市長の大分の協働のまちづくりの実践報告、大和田哲男静岡大学教授の家康のまちづくりとひとづくりのレクチャーとびっしりの講義日程。でも、講師陣がバライティーに富んでいたため、さほど飽きずに充実した研修日となりました。
 二日目も、午前中は、総務省のコミュニティー研究会座長もされた名和田法政大学教授をコーディネータに、菊谷秀吉北海道伊達市長、渡辺幸子東京都多摩市長、木原勝彬ローカル・ガバナンス研究所所長、工藤泰志言論NPO代表、横石知二(株)いろどり副社長、後藤和子埼玉大学教授などこちらも多士済々のメンバーによるパネルディスカッションでした。それぞれの体験談に基づく訴えは、非常に刺激的であり、本市の市政にも生かせそうなポイントがいくつか見つかりました。 


 今後、これらの有意義なを実務にどう取り入れていくかが大きな課題です。その分宿題を背負った感じで、2日目午後の視察はパスして帰高しました。
 (写真は、開会式の佐竹全国市長会会長(秋田市長)の挨拶と駿府城のお堀端にあったわさび漬け発祥の地のモニュメント)

牟礼・エルバートン姉妹提携25周年記念式典

10月8日(月)

 本日、牟礼町の石の民族資料館で旧牟礼町とアメリカジョージア州エルバートン市の姉妹都市提携25周年の記念式典が行われ、来賓として出席し、挨拶と記念植樹をしてきました。

 今回、この25周年記念事業に併せてエルバートン市からは、ラリー・ゲスト市長を始め総勢24名の訪問団が来日して交流事業が行われています。
 旧牟礼町時代の1982年に、石の産地、石材業の町同士ということで始まった交流は、25年間にわたり毎年学生の留学交流が行われるなど、非常に活発に今日に至るまで続いてきました。そして、牟礼町が高松市と合併した後も、姉妹都市という自治体としての交流は行わないものの、牟礼エルバートン親善委員会による民間主体の交流として継続していくこととされています。


 今回が初めての来日というラリー・ゲスト市長も非常に気さくな方で、市長同士でもすぐに打ち解けあうことができました。
 エルバートン市の親善委員会のトム・エバンズJr委員長は、石の結びつきだけに、結束は固い。次は50周年を目指して交流を続けていこうと張り切っていました。

 このように、地域において実質的な意義のある国際交流が活発に行われていることは素晴らしいものだと認識を新たにしました。
 本市としても親善委員会の活動を側面的に支援しながら交流の継続を応援していきたいと思います。

「怪童 中西太」所蔵資料寄贈式典

10月6日(土)

 このたび、本市出身の著名な野球人である中西太さんから、自宅に保管されているトロフィーやユニフォームなどの貴重な資料を、ふるさと高松市で残して欲しいとの有難いお申し出があり、本日、その寄贈式典が中西太さんの高校時代の活躍の場であった高松中央球場跡の中央公園で執り行われました。

 中西太さんは、高松市松島町出身。高松一高時代に3度甲子園に出場し、高校生離れした凄まじい打撃により、「怪童」と呼ばれるようになりました。
 そして、昭和27年には、郷土の先輩である三原脩監督率いる西鉄ライオンズに入られました。
 私が生まれたのが昭和34年ですので、残念ながら現役時代のご様子は、伝聞で知るのみですが、球界屈指の強打者としての大活躍されたことは、数々の逸話が雄弁に物語っています。
 曰く、プロ野球記録であろう推定飛距離160メートルの最長不倒の本塁打を打った。


 曰く、ピッチャーの肩口を抜けていったライナーがそのままバックスクリーンを越えるホームランとなった。
 また、長嶋茂雄さんは、中西さんの打った球が自分の隣を抜けていった時、これがプロの打球の速さかと思い知った、ということを話されていました。
 入団のその年に新人王、そして日本シリーズ3連覇に輝く西鉄の黄金期を力強く牽引された実績は、故郷の生んだ英雄として高松市民の、また、香川県民の誇りとなっています。
 西鉄退団後も、多くのチームの監督、コーチを歴任され、後進の指導にあたられ、マリナーズのイチロー選手や本市の姉妹都市であるセント・ピーターズバーグ市の留学生派遣事業に支援を引き受けてくれたタンパベイ・デビルレイズの岩村選手などからも、今でも頼りにされているとお聞きしています。
 平成11年には「野球殿堂」入り。平成12年には、第一号で高松市の市民栄誉賞の表彰を受けられています。


 本日は、中西さんの高松一高時代の同級生10数人も駆けつけて下さり、旧交を温めておられました。また、少年野球チームからも50人ほど、更に高松一高野球部の現役メンバーも参列して花を添えていただきました。
 中西さんからは、ご挨拶の中で、「何でも人の所為にすることなく、自分を信じて「なにくそ」と頑張れ」とエールを送っていただきました。
 中西さんの懐の深い、暖かく包み込んでくれるようなお人柄に接していると、こちらも元気が出てきます。若者から年長者まで多くの野球人に慕われているのもむべなるかな、と思います。


 今回寄贈いただいた資料約50点については、中西さんの出身地でもある松島町の市民文化センター内に専用のコーナーを作って来年4月から展示公開することとしたいと思っています。
 多くの市民が誇りに思い、元気が出て、本市の文化、スポーツの振興につながるような施設となるよう願っています。

公開討論会「道州制を見据えた高松の未来」

10月2日(火)

 本日、高松青年会議所の10月例会事業として「道州制を見据えた高松の未来」と題した公開討論会が開催され、私もパネリストとして参加してきました。

 この討論会は、内閣府の道州制ビジョン懇談会座長でPHP研究所社長の江口克彦氏をコーディネーターに迎え、道州制推進にあたっての課題と高松の将来像について意見や施策を提言することを目的に開催されたもので、非常に時宜を得た企画だと思います。
 道州制については、行政内部では議論が活発化してきていますが、まだまだ一般の人にはなじみが薄く、その意義や内容も十分に理解されているとは言いがたい状況かと思います。


 また、私自身は本来、地方分権時代における行政サービスの主たる提供主体のとなるべき基礎自治体(市町村)が、住民が満足する十分な行政サービスを行えるだけの規模と能力を備えることができて初めて,広域的自治体(都道府県)を再編する道州制というものが具体的に見えてくるものだと考えています。
 コーディネーターの江口先生からは、励ましとともに辛口の反論もいただきましたが、各パネリストの方々からいただいた高松市政と道州制に対する有意義なご意見、ご提言も併せて、私の今後の市政運営に役立てて参りたいと思います。

 それと、会場には予想をはるかに上回る約500人もの聴衆に来ていただきました。有難いことでしたが、諸々の要因があいまって、若干消化不良の議論となってしまったことをお許しいただきたいと思います。

平成19年度共同募金運動スタート

10月1日(月)

 本日から全国一斉に実施される、赤い羽根共同募金運動の展開行事に出席し、市民の皆様に募金への協力を呼びかけてきました。
 この運動は、戦後間もない昭和22年から行われており、今年で61回を数えます。最も息長く全国的に展開されている社会奉仕の募金活動ではないでしょうか。
 私が小さい頃は、赤い羽根といえば、10円を募金して、赤い羽根を刺してもらうというものでしたが、事故や環境への配慮で羽の金属軸がなくなりシールになったのと、貨幣価値の変化により、募金のあり方も変わってきたようです。


 今日は、まず、保育園児からお小遣いの5円玉や1円玉の募金を箱に入れていただき、印の赤い羽根をシャツに貼り付けてあげました。そして、知事さんと一緒にしばらく街頭に立って、募金活動をさせていただきました。でも、テレビカメラ等が並んでいたためか、多くの方が前を通るのを遠慮されたため、成果のほうはほとんどありませんでした。ごめんなさい。

 言うまでもなく、この運動は、数多くのボランティアの方々に支えられて成り立っています。

 そして,ここで集められた寄付金は、県内の社会福祉施設・団体やNPOなどを始め、地域福祉活動の貴重な財源として有効に活用されています。
 今年のスローガンである「地域の福祉,みんなで参加」の合言葉通りに、人間性豊かな明るい福祉社会を目指し、多くの皆様の善意をお寄せいただきますようお願いします。

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