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県議会議員選挙告示と年度末

3月30日(金)〜31日(土)

 本日3月31日は、学校や会計年度の区分でいう年度末の最終日。

 今日(31日)は、少し前まで雨模様の天気予報に関わらず、朝から晴天に恵まれ、まずまずのお花見日和でした。
 午前中に土地改良区2箇所の総代会に出向きご挨拶をした後、栗林公園の中の、ある桜の木の下で30年以上続けているという花見の席にご案内をいただき参加してきました。

 気象庁がデータを取り間違え、失態を見せた高松市の桜の開花予想日も、無事修正予告どおりに花が咲き、土曜日の今日は、国の特別名勝栗林公園は、花見客でにぎわっていました。
 12月10日のブログにも書きましたが、栗林公園が見せる四季折々の美しい姿は本当に自慢できるものだと思います。
 以前公園に隣接していた動物園も取り壊され、今ではきれいに整地されて、駐車場になりました。
 臭いもしなくなり、きれいにはなったのですが、幼少の頃から親しんでいた栗林動物園がなくなっていることは、残念で、当時のことが懐かしく思い出されもします。
 そこで、今日の気分にぴったりの一句。

口あけて 全国の河馬 桜咲く  坪内稔典

 栗林動物園にいた河馬は、今どこで口をぱっくりと開けて春を楽しんでいるのでしょうか。


夜は、これも10年近く続いているという市議会公明党会派代表の森谷芳子議員主催の集まりである「芳桜会」に参加して文化団体関係者を中心とした参会の皆さんと懇談をさせていただきました。
 その後は、高松在住の高校時代の同級生が開いてくれた壮行会で盛り上がりました。

 昨日(31日)から県議会議員の選挙が告示され、香川県でも統一地方選挙が幕を開けています。
 高松市選挙区は17人の定員に対して19人の候補者が立って選挙戦に突入です。やっとそれらしき雰囲気が出てきた感じです。
 私の選挙対策本部でも、昨日の夜、第一回の会合を持ち、いよいよ本番モードに突入しました。

 さあ、明日から平成19年度の始まりです。
 選挙の構図はまだどうなるか分かりませんが、改めて気を引き締めて行きましょう、と年度最後の日の夜に決意を新たにしています。

朝礼なるもの

3月26日(月)〜29日(木)

 朝礼というものに出たのは何年ぶりになるのでしょうか。
 確か、高校時代には、一週間に一回は朝礼なるものがあって、生徒会長をしていた頃は、もっともらしく「生徒会からのお知らせ」などを壇上からしゃべっていたような気もします。

 それ以来になるのでしょうか。大学時代は、朝礼などというものは考えられもしませんでしたし、あってももちろん行ったことはありません。社会人になってからは、列島各地、いろいろな職場を経験しましたが、いずれも公務員の世界であり、朝一番の組合集会はあっても、朝礼なるものに出たのはついぞ覚えがありません。
 ということは、29年ぶりに朝礼というものに参加したことになるのでしょうか。

 今週は、26日(月)の朝から、初めてお会いした時、私に「天命ですよ。頑張りなさい。」と励ましていただいた讃州製紙の太田社長の計らいにより、讃州製紙高松帝酸などの関連会社の朝礼に出させていただき、ご挨拶をしてきました。
  朝少し早く起きて街に出て、「おはようございます」から始めて大きな声でご挨拶すると、自分自身が清清しくいい気分になれます。


 これに味をしめたわけではないのですが、28日(水)の朝は、こちらも、帰郷当初から面識を得ている吉田ご夫妻率いる「ナイスタウン出版」の朝の会合にも出席してご挨拶をしてきました。
 いずれの会社も、社員の方の平均年齢は比較的若く、勝手な受け取りかも知れませんが、これからの高松市のまちづくりを一緒に考えていきましょう、という雰囲気が出せて私も元気をもらったような気がします。

 そのほか、事務所での来客対応とともに、土地改良区の総代会や医師会の評議員会などいくつかの会合に出させていただきました。
 それぞれ、ご挨拶の中でマニフェストをご紹介しながら、投票日まで一ヶ月を切った中で、これまで以上に精力的に活動し、市民の皆様のご意見、ご要望をしっかりと今後の市政運営に結び付けて行きたいと決意を新たにしている旨の表明をさせていただきました。

総理大臣も視察した丸亀町商店街

3月23日(金)〜25日()

 伝統的に言えば、少し前の季節を表す言葉なのでしょうが、「三寒四温の候」とはよく言ったものです。
 このところ、寒い日と暖かい日が交互に来るようでありながら、日ごとに春めいて暖かくなっていくのが実感されます。
 以前より寒暖の差が大きくなり過ぎているように感じるのは気にかかるところではありますが。

 23日の金曜日から週末にかけて、高松市内の土地改良区の総代会が目白押しで、それぞれの会合に出席してご挨拶をするため、合併して広くなった市域内を東へ西へ、北へ南へと走り回りました。
 今日(25日)などは、朝一番に香川町南部の土地改良区総代会へ行きご挨拶。その後、北へ向かって庵治町であったイベントに参加。30分ほど滞在して昼前には西へ走って下笠居土地改良区の総代会に出席。
 昼食は、再び東進して屋島に戻り、県議会議員さんの事務所で勧められるままにうどんを二杯とおにぎりを2個。こういう事務所の食堂で炊き出しでは、どうしてもついつい食べ過ぎてしまうようです。


 その後、道中の市議会議員さんの事務所にお寄りしてから、自分の事務所に帰り、来客対応を3件こなしました。

 前にも訪ねて来てくれた広島在住の友人が東京に居る奥さんと娘さん、更には高松の友人を連れて来てくれ、公私混交の話題で楽しく歓談をしました。

 午後3時半ぐらいに土地改良と農業用水の専門家である長町事務局長と連れ立って、事務所を出て公渕公園、久米池、新川などの農業用水関係の水利施設を見てから、古高松の土地改良区総代会に参加して懇談を行いました。

 東奔西走しながらも、多くの人とお会いし、懇談が出来た充実した日曜日でした。

 昨日、24日(土)は、何と言っても安倍総理大臣菅総務大臣が連れ立たれて高松に来られたことが、ビッグ・トピックスでした。
 菅総務大臣には、昨年の11月2日に総務省を退職する前にご挨拶に伺い、暖かい励ましの言葉をかけていただいていました。
 とにかく、一言「頑張っています」というご挨拶だけでも、ということで、12時38分着のマリンライナーを高松駅のホームで出迎えさせていただき、一瞬ながらご挨拶をさせていただきました。

 それにしても、一国の総理が高松市にやってくるとなると警備も大変です。でも、安倍総理はその警備がさも目に入らないがごとくに、女子高生の黄色い声のする集団にもすっと向かって気軽に握手をしていました。これは、小泉前首相の路線の踏襲でしょうが、非常に庶民的な気さくな感じがして近くでいても好感が持てました。

 今回の来高の目的は「頑張る地方応援プログラム」の視察で、民間主導で再生を果たそうと頑張っている丸亀町商店街の現状を視察することです。

 総理大臣と総務大臣が連れ立って丸亀町商店街の再開発事業を現地視察をする。
 それだけ、丸亀町商店街の再開発事業は、全国の、特に疲弊する商店街の建て直しに頭を痛めている地方の、そしてその地方をどうに盛り立てて応援していこうとする時の政府の注目を集めているという証でもあります。

 私のマニフェストにも、いの一番に「1.商都・高松の中心市街地ににぎわいをとりもどす活性化の取組を推進します。」としていますが、丸亀町の取組が、一過性の尻つぼみで終わることのないよう、行政としてもしっかりとバックアップしていくべきであると思います。

まちづくりの理念と顔づくりーアイデンティティとイメージ

3月19日(月)〜22日(木)

 20日の午後、公明党県本部からの推薦状の交付を受け、市議会の公明党会派との間で政策協定書を結びました。
 また、21日の午後には、連合傘下の香川県友愛会議などとの間で高松市長選挙の政策に関する覚書を結び、推薦決定ををいただきました。


 20日の夜に3時間強、と22日の夜に2時間弱、それぞれまちづくりの会合に関する会議に参加しました。

 20日は、香川大学、香川県、高松市の三者で構成する広域拠点あり方検討委員会が主催した「高松都市圏の都市戦略を語り合う」という「地域形成討論会」に傍聴者として参加。

 香川大学の三好勝則客員教授と土井健司教授がそれぞれ「高松都市圏の都市理念」と「高松都市圏の顔づくり」と題して基調報告を行い、(社)香川経済同友会(社)高松青年会議所TMO高松の代表者が意見発表と主催者を交えた討論を繰り広げました。

 それぞれの団体はこれまで独自に高松のまちづくりに関する提言を行ってきましたが、このように4者が一堂に会して議論する場は初めてとのことで、それ自体が非常に有意義であるという感想が聞かれていました。

 また、高松都市圏をどう構成していくか、というとき、市域をより広域で考えるとともに、直島小豆島まで含めて瀬戸内海を取り込んだ都市圏として捉えるべきであるという提言は、私にとってはっとするもので、新しい視点を与えてくれました。

 そして、アイデンティティ(内なる都市圏)の凝縮とイメージ(外から見た都市圏)の発散のギャップを如何に埋めていくかが都市圏の理念と顔づくり双方にとって重要な課題であるとの指摘には、考えさせられるものがありました。

 22日は、NPO法人の高松まちづくり協議会の3月の例会に参加し、私のマニフェストに基づいて講演をするとともに、会員との間で意見交換、討論を行いました。

 何人かの方は、既に顔なじみで遠慮がなかった所為もありますが、皆さん、さすがに永年高松のまちづくりに様々な形で関わってきただけあって、現状等を良くご存知で、これからの高松のまちづくりについても具体的で率直な意見が出されました。

 非常に有意義で私自身も勉強になった時間でした。

 JCシニアのメンバーが中心ですが、私と同年代の人が多く、いろいろな意味で今後とも頼りになるグループとなりそうです。


 最後の写真は、20日の午後の時間の合間に出かけた五剣山をバックにした八栗寺です。市内に4箇所ある八十八箇所の札所のうち、帰郷してまだ足を運んでいなかったところです。天気もよく、ケーブルカーで山上にあがり、奥の院まで足を運びました。

 途中、集団のお遍路さんとすれ違い、五剣山の威容、眼下の絶景など、観光資源としての魅力も十分だと思います。

 でも、アイデンティティは固められても、他の観光施設と連携させたイメージを確たるものとする努力はまだまだ足らないような気もします。

学校統合、障害者福祉、早寝早起き朝ごはんなど

3月16日(金)〜18日()

 この3日間のトピックスをいくつか。
 16日(金)の昼に、市の中心部の新塩屋校区のコミュニティ協議会の役員の皆さんと懇談する機会がありました。
 私のマニフェストを基に、小一時間、まちづくりや教育などについて意見交換をし、ご要望を伺いました。
 新塩屋町校区は,高松市の北端に位置し、古くから東浜港、杣場川港を中心に、物流の拠点として発展した市街地です。校区内には、城下町としての名残をとどめる町名や町並みがあり、ここに住む人々の心の中には,今も城と共に町を発展させてきたという誇りが息づいている地区です。しかし、市中心部の人口空洞化と少子化により、新塩屋町小学校は、近隣の小中学校との学校統合により廃止され、新しい小・中学校一貫校ができることになっています。
 それだけに、自治会の役員の方々も、町の将来に対して強い危機感をもたれています。

 私のマニフェストにある中心市街地の活性化やコンパクトなまちづくりなどの具体策について質問が出され、統廃合後の学校施設の活用方策について要望が出されました。
 市中心部では、日新・二番丁・四番丁小学校を統合して新設する新設統合第二小学校(仮称)も予定されています。
 学校の統廃合は、教育の問題にとどまらず、まちづくりそのものにも関わる問題です。現状を見据え、オープンに議論し、早期に将来ビジョンを明確にしていく必要性を再認識しました。

 17日(土)の午後、木村義雄代議士からのご案内で、「全国脊髄損傷者連合会香川県支部」の会合に出席させていただき、ご挨拶をするとともに、1時間半ほどにわたり、障害者や家族の皆さんからいろいろなご意見、ご要望を伺いました。
 昨年から施行されている障害者自立支援法の問題点に関するものが中心でしたが、交通バリアフリーなどに関する意見も出され、高松市のこれからのまちづくりの考え方について、不遜ながら私からもお答えをさせていただきました。

 また、香川県における重度心身障害者の受け入れ施設の少なさについて、出席者から強い要望が出されていて、行政としてそれに対してどう答えるのか、説明責任を果たすべき課題であると認識しました。


 18日(日)は、朝4時半起床でした。昨年の11月に初めて出て以来となる実践倫理宏正会の朝起き会に朝5時から参加するためです。
 春は名のみの一段の冷え込みで、しかも久々の超早起きにぶるっと身が震え、そして引き締まりました。
 すぐ近くの高松国際ホテルの会場に入ると既に500人以上の人が集まっていました。参加者のほとんどは、ほぼ毎朝、各地域で早起きを実践しているとのこと。前回もびっくりしましたが、今まで私の知らなかった世界がそこにはあり、なぜか自然と頭が下がる思いがしました。
 昨年、子供の教育や体力づくりのため、「早寝早起き朝ごはん」全国協議会が作られ、国民運動が展開されようとしていますが、子供だけでなく大人がまず実践することが大切であるとの思いが強くなりました。

 午後は、市議会議員さんの選挙事務所を中心に挨拶回り。
 写真はある事務所で入り口においてあった「デカ大根」です。煙草の箱の大きさと比較していただければその大きさが分かろうというもの。
 単に珍品として作っているのかと思いきや、味も甘くて抜群とのことでした。
 いやいや世の中にはいろいろなものがあるものです。

忙中閑あり

3月12日(月)〜15日(木)

 本日(3月15日)、公明党香川県本部から、4月の高松市長選挙に当たって私を推薦する旨、正式決定がなされたとの連絡をいただきました。今後、具体的な政策協定を結ぶ運びとなります。
 早いもので4月15日の高松市長選挙の告示日まであと一ヶ月となりました。
 2月28日にあった立候補予定者説明会には、私のところを含めて3つの陣営が参加したようですが、現在のところ出馬表明しているのは、私だけです。このまま、推移すると無投票の可能性もあると言われています。
 候補予定者自身が選挙の構図についてどうこう言うのは控えたいとは思いますが、周りの人の意見は、「どうせなら、選挙をやったほうがいい。」というものと「ないならないに越したことはない。」というものに二分されています。

 無投票になったとしても告示日当日は、選挙運動を行う必要があるわけで、それまでに万全の準備を整えておくことは必要です。

 私自身は選挙当日(投票日)までを想定して余計な雑念を入れず、これまで以上に精力的に名前政策を売り込む活動を行って参りたいと考えています。

 12日(月)は、午前中高松市傷痍軍人会の役員会に出席してご挨拶。夜には歯科医師連盟の役員の方が見えて、推薦状と為書きをいただきました。

 13日(火)の昼間、時間が空いたので、瓦町からコトデンに乗って築港駅に行き、玉藻公園内を散策しました。

 玉藻公園は、日本三大水城の一つである高松城跡を公園にしているものです。すぐ前は昔、玉藻の浦と呼ばれていた瀬戸内海であり、そこから海水を引き込んでいて、堀の中には何と鯉ならぬ鯛が泳いでいます。看板もでていて、餌もちゃんと売っています。全国でも鯛に餌をやれる城址公園は、多分ここだけ、オンリーワンでしょう。

 サンポート、中央公園と併せて都市の顔としてこの玉藻公園の魅力作りも考えていきたいと思っています。
 公園からの帰りも事務所近くの駅までコトデンを利用しました。チャージ機能のついたプリペイド・カードである「IruCa」で乗り降りをして、非常に快適な散策時間とすることができました。
 公園などの公共空間と商店街を中心にして公共交通機関の利便性の確保を組み合わせながら、歩行者や自転車に優しい「散歩が似合うまちづくり」も進めていきたいと思います。(写真は、公園内の「鯛」の看板及びコトデン高松築港駅のベンチと鞘橋)


 夜は、前(1月26日)に行った商工関係の若手の集まりである「高松の未来を考える会」との懇談会の2回目の会合がありました。前回は議論の時間が短く、若干消化不良でしたが、今回は、新しいメンバーも加わって、一時間ほどゆっくり意見交換をすることができました。私のマニフェストを基に、道州制の問題、教育、観光、防災、芸術文化などに関して率直な意見をうかがうことができ、私自身大いに勉強になりました。

 14日(水)は、午前中は事務所で来客対応、昼前から市の中心部の挨拶回り、15日(木)は、ほぼ一日事務所で来客対応と選挙準備の打ち合わせ等をして、夜は市議会議員の事務所であった会合に出席してご挨拶をしました。

どこまで進化させるの?−古川知事のマニフェスト

3月9日(金)〜11日()

 まずは、表題の話から。
 古川佐賀県知事のマニフェストが3月10日(土)に発表になりました。
 かなり以前から「本邦初の試みもあります」という前宣伝があり、期待はしていたのですが、やはり彼らしく、想像をはるかに超越してくれました。
 古川知事と私は、昭和57年に一緒に自治省に入った同期入省の友人です。しかも、独身時代には8ヶ月間ほどですが世帯用の公務員宿舎に二人で同居していました。いろいろな意味で、くさい仲です。
 その頃からずっと、彼には刺激(匂いではありません。)を受け続けていましたが、今回自分がこのような立場になってからは特に、4年以上先を走っている彼の足跡を参考にさせていただきながら賢明に「大西ひでと」らしさを出すべく高松市長選挙に向けた活動にいそしんできました。
 でも、このマニフェスト。ここまで進化すると追いついていくのは相当に大変です。

 北川前三重県知事を始め、多くの方に絶賛されている恵庭市長の中島興正さんマニフェストはまだ、北海道と恵庭市、それに中島市長の経歴や人となりからすれば、想像の範囲内でした。それでもあそこまでのマニフェストにするには私自身の修行がまだまだ足りないと思っています。
  古川知事のアニメ・ムービー版マニフェストについては、素直に脱帽です。参りました。

  今回の選挙は、現在のマニフェストの形で行くとして、今後の肉付け、具体化、検証段階も含めて、私のマニフェストをどこまで進化させることができるか、研鑚をつんで参りたいと思います。

 ここ3日間の活動報告を簡単に。


 9日(金)の午前中に高松市観光大使でもある打楽器奏者、小松玲子さんが以前からお世話になっている牟礼さんとともに事務所を訪ねて来てくれました。
 才色兼備とは、こういう人のことを言うのでしょう。
 高松一高の音楽学科から芸大へ進まれ、今は、劇団四季の舞台にも立たれていて国際的にご活躍とのこと。
 高松市の文化、観光の振興のためにも、益々のご隆盛を期待したいものです。

午後は、丸亀町商店街振興組合の古川専務と明石常務から、再開発関係の話を中心にお伺いして、その後、古川専務にご同行いただき、丸亀町の各店舗の挨拶回りをさせていただきました。

 10日(土)の午前中は、香南町地区の挨拶回り。古刹である美応山宝勝院天福寺にもお寄りしました。
 昼は、高松市文化協会の中西理事長さんら、理事の皆様方とご一緒しました。
午後に、里山クラブ「屋島」世話人代表の井深さんとお仲間が事務所に見えられ、屋島を中心に、市内の里山保全の活動状況について有意義なお話をいただきました。
 マニフェストでも「23.市内に点在する里山の保全に積極的に取り組みます。」としているところであり、井深さん達の活動を大いに応援していきたいと思います。

 夜は、今回の高松市長選出馬に当たって、最初からこれまで、ずっと私を支えていただいている平井卓也代議士の「語る夕べ」に参加して、ご挨拶をするとともに、出席者の大方の皆様と懇談をしました。

 11日は、国分寺町地区であった「香川県女性友好の翼報告会」にご案内をいただいていたため参加し、フィンランドとドイツの研修旅行の成果をお聞かせいただきました。

 夕方から、久々の完全オフにし、スポーツジムでフィットネス&水泳&サウナ&マッサージ機ですっきりしました。

施策のネーミングの大切さ−無認可と認証

3月6日(火)〜8日(木)

 昨日(7日)の午前中、朝日新町の卸売団地(卸センター)に社屋を構えている企業をずっと歩いて挨拶回りをしました。
 敷地内を歩きながら連続して30以上の企業回りをして、さすがに足が少し張った感じになりました。
 毎日動いているようでいて、車での移動がほとんどで、それほど足を使っていなかった証拠でしょうか。
 まさに選挙運動をして運動不足解消です。

 また、7日の午後は、香南町地区を、今日(8日)の午後は香川町地区を、こちらは車で乗り降りを繰り返しながら挨拶回りをしました。
 前にお会いしている人でも、やはりこちらから訪ねていくと喜んでいただき、励みになります。やはり自らの足で運動して稼がなければなりません。

 ところで、一昨日(6日)、いわゆる無認可保育施設の関係者の方が、事務所に見えられて、お話を聞く機会がありました。
 いわゆる無認可保育施設については、児童福祉法に基づく行政サービスとしての保育が行われているわけではなく、経営者と個人との自由な私的契約の下に保育が行われています。したがって、認可保育所では満たされない様々なニーズにもあった保育サービスが受けられるという利点がありますが、法制度で規制されていないため、施設の環境改善や安全対策等、また料金についても基本的に経営者の判断に任されています。そのため、過去に事件、事故が起こったこともあり、問題を抱えた施設の劣悪な環境がマスコミに取り上げられ、社会問題化したこともありました。

 しかし、この無認可保育施設でも、一定の国の指導基準が決められ、任意ながらその基準を満たしてより良い保育環境を整えようと努力している経営者も増えてきているというお話を聞きました。高松市内でもその基準を満たしている施設が6施設あるとのこと。
 東京都では、都独自の指導基準を満たしているこのような施設を「認証保育所」として認めて、それなりに手厚い公的助成を行っているということです。

 住民の様々な保育に対する需要は、どうしても認可保育所だけでは完全に満たすことはできず、これらの無認可保育施設に対する歴然たる需要があるのもまた事実です。
 指導基準を満たそうとしない施設は別として、苦しい経営状況の中で、指導基準をクリアしている施設に対する支援の充実を図るべきではないか、というご意見を伺いました。

 それより先に「無認可保育施設」でも、せめて指導基準を満たしている施設については、東京都の「認証保育所」のように呼び名を変えたらどうでしょうか、という話もさせていただきました。「ベビーホテル」という言い方も使って欲しくない、とのお話もありました。

 確かに、「無認可」や「ベビーホテル」というだけで、劣悪な環境やサービスをイメージされがちです。
 施策のネーミングというのは聞いたときに思い描くイメージに直結するだけに、非常に大切であることを再認識しました。
 そして、子供に関する施策の現状についても様々な視点からの点検が必要だと思いました。

挨拶回りと選挙準備本格化

3月5日(月)

 今日は、一日中、事務所を出たり入ったりしながら、挨拶回りにあちこち回りました。

 また、事務所内では選挙本番に向けての具体的な作業が始まりだしました。選挙対策本部体制の構築や選挙公報、ポスター、出陣式の案内等の作成準備等です。

 4月22日の高松市長選挙の投票日まで、あと48日となりました。
 そろそろ、待ったなしの時期に差し掛かりつつあります。

 この活動報告も12月5日(火)に書き出した後、12月10日(日)に「基本的にその日あった出来事を写真入りで簡単なコメントととともにご報告します。」としてから、上京の日と正月を除いて連日アップしてきましたが、明日からは、トピックスを3日分程度まとめた形で掲載させていただくこととしたいと思います。したがって、週に2回程度の更新頻度となります。

 事情をご拝察の上、ご容赦願います。

サッカー、盆栽、蛍

3月4日()

 三題噺を始めるわけではありませんが、今日は、「サッカー、盆栽、蛍」に関係するイベントに参加し、ご挨拶をしてきました。

 まずは、午前中、香南町の河川敷で行われていた第26回香南招待少年サッカー大会に誘われ、初夏のような陽気の中出かけました。長年続いているこの大会、神戸や徳島など県外からも毎年数チームの参加があり、親子の地域間交流としても有意義なものとなっているようです。
 小中学生がサッカーの試合に駆けずり回っているのを見ながら、お母さん方がボランティアで炊き出しをしてくれたうどんをよばれて、関係者にご挨拶をしました。

 その後、サンポート高松を主会場として行われていたジャパンフラワーフェスティバルに併せて行われた「日本盆栽協会讃岐支部認証式」に出席してきました。
 前にも書いたように、高松市内の鬼無地区、国分寺地区だけで松盆栽の全国シェア8割を占める生産を誇っており、古くから盆栽が盛んな土地柄ですので、愛好者の集まりの会とはいえ、盆栽協会の支部が今の今までなかったことに逆に驚きました。協会本部からも役員の方が見えられていて、支部認定証が支部長に渡され、お祝いの会食となりました。

 そして、午後二時から国分寺町の奥の谷地区で行われた蛍の幼虫の放流式に参加しました。

 この地区では、蛍の会の会長である橋本さんを中心に、20年も前から蛍の飼育が行われてきたそうです。
 神事で無事を祈願した後、地区の子供たちを中心にして蛍の幼虫を放流しました。
 幼虫が育って成虫した蛍の乱舞第一号が見られるのは早ければ5月の10日過ぎとのこと。今から楽しみになります。


 今の私の仕事の一環とはいえ、スポーツ(サッカー)と趣味(盆栽)と自然(蛍)に少しずつ親しんで、心が和んだ日曜日となりました。

オリーブ・ガイナーズの天野投手

3月3日(土)

 午前中、国分寺地区で開かれていた老人クラブ連合会のカラオケ部によるカラオケ大会に出てご挨拶。

 その後、日中は、市議会議員さんや県議会議員さんの開設されている後援会事務所を訪問させていただきました。
 今日、3月3日は、ひな祭り。しかも土曜日で、友引ということもあり、多くの後援会で事務所開きが行われたようです。県議会議員は選挙まで36日、市議会議員は50日となり、いよいよ押し迫り、お日柄もよろしく、ということなのでしょう。
 好転にも恵まれ、さわやかな一日となりました。

 夜は、香川県軟式野球連盟の方にお誘いをいただき、高松国際ホテルであった「天野浩一投手香川オリーブガイナーズ入団激励会」に出席させていただきました。
 天野投手は、高松東高校、四国学院大学卒業で2001年に広島東洋カープに入団し、中継ぎの中心投手として121試合に登板、5勝の成績も残しています。それが、昨年秋に戦力外通告を受け、香川オリーブガイナーズでプレーすることとなったものです。
 身体はそれほど大きくないのですが、見るからに好青年であり、厚い胸板に秘めた闘志はかなりのものがあるとお見受けしました。
 とにかく、四国アイランドリーグで活躍して、また、NPBに必ず早期に復帰するとの決意。香川オリーブガイナーズの西田真二監督は、地元選手としてリーグをできるだけ盛り上げて欲しいと注文していました。
 いずれにしても、地元にこのようなプロチームが存在し、地元出身の選手が何人かでも活躍しているというのは、住民にとって大きな励みになります。
 私のマニフェストでも「37.野球、バスケット、サッカー、バレーなどのトップチームの活躍を応援しながら学生、学童スポーツまで、裾野の広い様々なスポーツの振興を図ります。」としているところです。
 プロ、あるいはアマチュアでも全国リーグを目指すトップチームである香川オリーブガイナーズ高松ファイブ・アローズカマタマーレ讃岐四国Eighty8Queenが、高松市を本拠地にしているというのは、本当に幸運だと思います。
 これから個人的にもこれらのチーム、並びに天野浩一投手を応援していきたいと思います。

ひな祭りと四国村と牟礼の地場産業

3月2日(金)

 いつもどおりに事務所に出た後、11時からご案内をいただいていた「つくし幼稚園」の一日早いひな祭りを見学させていただきました。行事は、幼稚園児と老人会の世代間交流も併せ持つように企画されていて、終始和やかに、微笑ましく執り行われました。
 その後、屋島の四国村へ行き、たらいうどん(家族うどん)で有名な「わら屋」で昼食をとり、四国村の中に入って、初めて訪れる安藤忠雄氏が設計した四国村ギャラリーを中心に見学しました。


 その後、庵治町地区に行って、一昨年の夏に家族で来て以来となる映画「世界の中心で愛をさけぶ(セカチュー)」のロケ地をぐるっと回ってから、牟礼町地区で石材産業の若手経営者などとの懇談会に出席しました。
 合併後の高松市の中で、この庵治、牟礼地区の石材業の集積は、高松市の地場産業の最たるものとして大事なものだと思っています。
 良い品質のものは世界で一番高価だともされる庵治石を地元で掘り出し、それを加工する技術が継承されていることは、世界規模で見ても貴重なものです。イサム・ノグチ氏もこの地場産業があったからこそ、ここにアトリエを構えたのであり、流政之氏が庵治町でスタジオを作ったのも庵治石と若い石工の存在があったからです。


 「石あかりロード」のイベントも3年目を向かえ、業界の中の若手の間でもやる気と新しいことにチャレンジしてみようという気風が少しずつ出てきたようです。もう少し現状を分析して、行政が何をすべきかを見極めていかなければなりませんが、とにかく地場産業の振興の為、応援をしていきたいと思います。
 そのほか、教育の問題やスポーツ振興の話題がどんどん出てきて、一時間半の懇談会はあっという間に過ぎました。


 その後、市の中心部で挨拶回りを行い、夜は、市議会議員さんの会合に出て挨拶をしました。

交通安全母の会

3月1日(木)

 3月が始まりました。
 2月だと異常気象と思える暖かい日々も、3月というだけで、春が来る喜びのようなものを感じるから不思議です。
 そして3月は年度末。県内の多くの高校でも今日卒業式も行われたようですが、別れの月であるとともに、新たな門出への準備で忙しくなる月です。今年の私にとっては、4月のゴールへ向けての追い込みの月というところでしょうか。

 今日は、午前中、選挙に向けて事務所の手伝いを申し出ていただいた方々と面会をしました。選挙準備の作業が忙しくなる再来週あたりから交代で来ていただけることになりました。

 事務所から歩いて5分の「ゆめタウン」内の回転寿司屋で昼食をとった後、午後1時から昨日の立候補予定者説明会を受けて、今後の具体的な事務作業等を確認する所内打ち合わせを行いました。
 事務局長が綿密な作業スケジュールを作成してくれていたため、スタッフのお互いの共通認識もでき、先の見通しが出てきて少し安心しました。

 午後3時に高松市交通安全母の会の役員十数名の方が事務所に来てご挨拶をするとともに私のマニフェストも見ながら、若干の意見交換を行いました。
 やはり話題は、交通安全のことが中心でしたが、それぞれの地域でのコミュニティ協議会と交通安全母の会の関わり方などについても、意見や要望が出されました。
 高松市では、従来の自治会などの縦割り組織をコミュニティ協議会で包括化しようとしているようですが、地域によっては現場で相当な混乱が起きているようです。過渡期ゆえのこともあるのでしょうが、「コミュニティ活動の振興」と一言でいっても、そう一筋縄には行かないようです。

 夜もある市議会議員選挙候補予定者の後援会の会合に出てご挨拶をしてきました。

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