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2007市民遠泳大会

7月29日()

 ついに、出場の機会を得ました。水泳選手だった小学校時代からテレビのニュース等を見て憧れていた高松市の市民遠泳大会に。この大会は、高松市と市水泳協会が共催しているため、最初に挨拶をしてから、急いで着替え、一参加者として海に入り、大的場からサンポートまでの約1.5キロメートルを完泳してきました。
 この市民遠泳大会は、何と明治37年からスタートした行事であり、歴史と伝統を誇る大会です。既に高松市の夏の風物詩としても広く市民の間に定着しています。


 ただ、その長い歴史の中でも、高松市長本人が泳ぐのは初めてではないかということで、水泳協会の関係者などから大層有難がられました。
 思ったよりも波が高く、とにかく海水を飲まないように注意して泳ぎました。プールと違って、体が浮きやすいことと、潮の流れに任せていれば自然と前に進むこともあって、体力的にはそれほどきついものではありませんでした。
 感想は、「気持ち良かった」の一言。
 来年もまた出場したいと思います。少しメタボ気味の身体を引き締めて。

女木島・男木島の対話集会

7月24日(火)

 対話集会も、2週目を迎え、7回目、8回目は、男木島と女木島でした。言うまでもなく、高松市に所在する離島2島です。
 12時のフェリーで(女木島経由で)男木島に渡り、対話集会をした後、女木島で同様の会を持ち、高松港に帰ってきました。
 思っていた以上にそれぞれで島民の方々が多数参加してくれて、率直なご意見も聞かせてもらいました。
 離島だけに、船便の確保と便宜に関する意見が多く出されました。また、両島とも高齢者比率が60%近いということもあり、防災、救急医療に対する要望も多く出されました。
 県の所管事項であるものもあり、実現するには、多くの課題がありますが、切実な思いを直接聞くと本当に何とかしなければならないとの思いがこみ上げ、今一度私なりに整理をして、真剣に検討させてもらいたいと思います。

男木島の山の中腹にある豊玉姫神社から見下ろした男木島の住居と港

女木島の白浜が続く海水浴場

入港する船から見た高松の新しい港湾地区の風景

 写真は、男木島の山の中腹にある豊玉姫神社から見下ろした男木島の住居と港、及び女木島の白浜が続く海水浴場並びに入港する船から見た高松の新しい港湾地区の風景です。

ハンセン病療養所所在市協議会と大島青松園

7月19日(木)・20日(金)

 全国のハンセン病の療養所がある市町の協議会総会が開催され、北は青森市から南は宮古島市まで、所在する12の自治体の首長と議長が高松市に集まりました。大島青松園は、旧庵治町に属する離島である大島にあり、昨年の合併で高松市になったため、高松市としては初めての開催となります。

 昨日(19日)の役員会と総会、懇親会を終え、今日(20日)は、高松港から船で大島に渡り、施設見学と献花式を行いました。私が青松園を訪問するのは、6月25日以来、2度目です。

国の責任に負うべきところが大きいのはもちろんですが、ハンセン病の差別と偏見の解消はもとより、地域のなかで療養所及び入所者が暖かく迎え入れられるような社会作りのために、所在自治体としても更なる努力が必要であることを、改めて感じました。

 また、屋島・壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武者が大島に流れ着き、亡くなった後、埋葬した上に植えられたという園内の「墓標の松」の多くが白蟻に食い荒らされ、倒壊の危険がある為、切り倒す必要があるそうです。先月にも大きな松が一本、大きな音を立てて急に倒壊したそうで、近くを歩いている人がなく、けが人が出なくて幸いだったとのことです。
 安全のためには仕方のない処置なのかも知れませんが、800年以上にわたり、この地に生え、「墓標の松」として入所者や職員はもとより来訪者にも親しまれていた松です。

どうにかならないものだろうか、との思いを抱きながら、島を後にしました。

駐日仏・独両大使ご夫妻御来高

7月19日(木)

 これは、本当に珍しいことであり、素晴らしいことだと思います。
 駐日のジルダ・ル・リデックフランス大使ご夫妻とハンス=ヨアヒム・デアドイツ大使ご夫妻がそろって四国を旅行され、その途中に高松市を訪れ、表敬訪問を受けました。
 

 両大使とも本当に気さくなお人柄で、タイトな日程にもかかわらず、笑顔を絶やさず、短い時間ではありましたが、歓談をすることができました。

 私が歓迎の挨拶を述べた後、大使から、「ヨーロッパは大きく変わろうとしている。フランス大使とドイツ大使がこのようにそろって高松市を訪問していることがその証。都市間交流を中心に更に友好親善を深めていきたい」旨のお話があり、私からも是非そう願いたいとお応えさせていただきました。


 そして、中心市街地の活性化策や公共交通のあり方など、私が個人的に2年前に訪問したストラスヴール(かつて長い間フランス、ドイツが領有権を争った都市)が印象深く、大いに参考にさせていただいていることをお話しました。
 来年は、高松市がフランスのトゥール市と姉妹都市提携をしてから20周年を迎えます。これを契機に、視野をグローバルにして、ヨーロッパの都市と高松市との交流のあり方、また、ヨーロッパの都市から高松市はどんなことを学ぶべきか、など、再整理してみたいと思います。

香川オリーブガイナーズ、2007IL前期優勝祝賀会

7月18日(水)

 四国アイランドリーグも3年目を迎えています。そのアイランドリーグで今期見事ぶっちぎりの優勝を飾った香川オリーブガイナーズの優勝祝賀会が開催されました。私も香川オリーブガイナーズ支援会顧問という立場でもあり、東京への日帰り出張の後、お祝いに駆けつけ、祝辞を述べてきました。

 但し、私の前でご挨拶された真鍋知事が熱心に何度も球場に足を運ばれ、選手の名前と戦績まで良くご存知なのに比べ、私はまだ、一度も試合を見に行ったこともなく、「おめでとうございます」とはいったものの、「一度も見に行けず、申し訳ありません」と謝らざるを得ませんでした。そして、若干苦し紛れに、「私の世代は、西田監督には申し訳ないが、巨人・大鵬・卵焼きで育った。是非、往年の巨人のような常勝軍団になって欲しい。来期は是非とも応援に駆けつけさせていただくので、よろしく」との挨拶をしてきました。
 スポーツ関係の祝賀会というのは、いつ出ても、変なこだわりがなく、皆さんが素直にお祝いを言い合える場であり、清清しい気持ちになります。
 でも、今日は、西田監督が私よりも一つ年下だと知って若干複雑な思いを抱いて帰宅しました。 

ハッピー・ウェディング・セレモニーの立会人

7月14日(土)

 帯広の幸福駅に引き続いて,ハッピー・ウェディング・セレモニーの立会人をしました。
 リニューアルしていた丸亀町商店街のシンボルである三町ドームが完成し,その竣工式とともに記念の人前結婚式が行われ,駆り出されたものです。
 幸せそうな若いお二人を見ていると、立会人まで、心が温かくなってきて、何か幸せを少し分けていただいたような気になります。癖になるとまではいきませんが,こういうハッピー・セレモニーの立会人というのもなかなかいいものです。

 今日のお二人は、2月に入籍は済ませていたものの、結婚式、披露宴が挙げられていなかったので、新郎の職場もある丸亀町で是非に、という応募動機が認められ、36組の応募の中から選ばれた山本様ご夫妻。ご両親、ご親族ともども本当に嬉しそうでした。
 ところでこのドーム。日本初のガラスのドームで,アーケード・ドームとしても規模は日本最大だそうです。
 イタリア,ミラノのガレリア・モールを模して作られたそうで,また一つ高松が全国に,いや世界に誇れるものが出来た感じです。
 中心市街地の活性化の起爆剤として、そして商都高松の復活のシンボルとなることを高松市長としても心から祈っています。

香川大学同窓会連合会 設立総会・記念祝賀会

7月8日()

 香川大学における同窓会相互の交流と親睦を図るとともに,同学の教育研究を支援するため,香川大学同窓会連合会が設立され,本日,設立総会ならびに記念祝賀会が開催され,挨拶をしてきました。

 香川大学は,昭和24年5月の発足以来,高松市・香川県における最高学府,また,「地域に根ざした大学」として,地元に貢献していただいてますし,国立大学法人化して,香川医科大学も統合されて,ますます地方公共団体との結びつきも強くなろうとしています。

 そういう意味でも,同窓会連合会という地域ぐるみの応援団ができたことは時宜にかなったいいことだと思います。
 また,高松市内に住む18歳から22歳までの若者の3割は香川大学の学生だそうです。地域の大きな活力源となりうる人材集団であり,決して無碍にはできません。

 写真は,一井眞比古学長と私の父と丸中時代に一緒だったという香川大学名誉教授の山崎怜先生と一緒に撮ったものです。

市P連新旧役員懇親会

7月7日(土)

 高松市PTA連絡協議会の新旧役員懇親会にご案内をいただき、旧役員の方に感謝状をお渡しするとともに、ご挨拶をして歓談をしてきました。
 というだけなら、あえてここにアップして報告する必要もないのですが、感動的な場面があったので、少しご紹介を。

 市P連の前の会長である児玉令江子さんが、お世話になった皆さんへの御礼にと、同じく前役員の矢島訓子さんのバイオリン伴奏で「椰子のみ」や「夏の思い出」などの日本の歌を数曲プレゼントしてくれたのです。本人は、皆さんへのサプライズと思っていたのでしょうが、歌が本物でしたので、単にサプライズにとどまらず、ちょっとしたディナーショーの気分にまでさせていただきました


 そして、今度は事務局からのサプライズのお返し。児玉さんの年齢分の薔薇の花束を北野事務局長が涙交じりのコメントを添えてプレゼント。児玉さんは「それじゃあ18本しかない」と言い張っていましたが、しっかり40本強の立派な花束で、事務局の感謝の気持ちが良く表れていました。

 お蔭でこちらまで嬉しい気分になり、楽しい七夕の夜を過ごさせていただきました。

 市P連のホームページにも児玉さんのコメントが載っています。

高松市戦災犠牲者慰霊祭

7月3日(火)

 高松市戦災犠牲者慰霊祭が中野町の戦災犠牲者慰霊堂「六角堂」で執り行われ,式辞を述べました。

 今から62年前の昭和20年7月4日未明,高松大空襲により,本市市街地の約80%が焦土と化し,1359人の尊い命と美しい郷土が,無残にも一瞬にして失われました。二番丁小学校六年生だった私の母もこの時焼け出された一人で、当時の悲惨な状況は、小さい頃から母に聞かされていました。そして、慰霊碑の前に立ったとき,私は,恒久平和への切なる願いと,このような惨禍を二度と繰り返してはならないとの決意,さらには,平和を願う心を後世に末永く伝えていかなければならないとの思いを新たにしました。

 今年も、鎮魂の夏がやってきました。

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